格言

全部勝とうとすると勝てない

勝ちたいなら、
練習の中でまで勝とうとするな。

基礎打ちで勝とうとする者は、
不利側の自分を育てられない。

そして試合では、
その育ててこなかった自分が、真っ先に崩れる。


全部勝とうとすると勝てない

全部勝とうとする人は、なかなか勝てない。

これは、気持ちの問題ではありません。
勝負根性が足りないという話でもありません。

構造の問題です。

全部勝とうとする人は、試合だけでなく、基礎打ち練習ですら勝とうとします。

クリアでも勝とうとする。
ドライブでも勝とうとする。
ヘアピンでも勝とうとする。
プッシュレシーブでも勝とうとする。
スマッシュ交互でも勝とうとする。

すると、何が起きるか。

無意識に、自分が有利になる配球を選び始めます。

自分が打ちやすい高さ。
自分が強く見えるテンポ。
相手が少し困るコース。
自分が先に触れそうな場所。
自分が主導権を握れる展開。

一見すると、よく動いているように見える。
一見すると、強気に練習しているように見える。
一見すると、負けず嫌いで熱心に見える。

でも実際には、勝つための練習ではなく、
勝っている自分を確認する練習になっている。

ここが怖いところです。


基礎打ちで勝とうとする人は、不利側を練習していない

試合では、強い相手であればあるほど、自分の都合のいい球は来ません。

低い球が来る。
詰まる球が来る。
読まれた球が来る。
押し込まれる球が来る。
先に触られる展開になる。
自分が遅れる場面が増える。
打ちたい形で打てない時間が増える。

つまり、強い相手との試合では、
不利側に立たされる時間が必ず増えるのです。

にもかかわらず、基礎打ちで勝とうとする人は、その不利側を練習していません。

不利になる前に、有利側へ逃げる。
苦しくなる前に、自分の得意な形へ戻す。
相手に主導権を渡さないようにする。
自分が下手に見える場面を避ける。

その結果、試合で本当に必要な能力が育たない。

強い相手に崩された瞬間、
低い球を処理できない。
詰まった状態で返せない。
遅れた場面で落ち着けない。
押し込まれた後に戻れない。
不利側からラリーを立て直せない。

当然、勝てない。

なぜなら、試合で突然弱くなったのではないからです。
練習で、不利側の自分を育ててこなかっただけです。


「全部勝ちたい」は、勝利への執念ではない

全部勝ちたい人は、自分では勝ちにこだわっているつもりです。

でも実際には、勝ちにこだわっているのではなく、
負けている自分を見たくないだけの場合が多い。

練習中に押される自分を見たくない。
相手に主導権を握られる自分を見たくない。
ミスする自分を見たくない。
下手に見える自分を見たくない。
不利側で苦しむ自分を見たくない。

だから、基礎打ちの中でも有利側を取りにいく。

でも、勝負で必要なのは、
気持ちよく打てる自分ではありません。

必要なのは、
気持ちよく打てない場面でも壊れない自分です。

本当に強い人は、練習の中で不利側を引き受けます。

打ちにくい球を受ける。
苦しい体勢を作る。
低い打点から返す。
遅れた状態から立て直す。
相手が打ちやすい球をあえて返す。
自分が楽をしない条件を選ぶ。

それは、練習で負けているのではありません。

試合で必要な負荷を、先に買っているのです。


基礎打ちは、勝つ場ではない。負け筋を潰す場である

基礎打ちの目的は、相手に勝つことではありません。

自分の弱点を発見すること。
不利側の処理能力を高めること。
苦しい場面で再現性を保つこと。
崩された後に戻れる身体と判断を作ること。
試合で起きる負け筋を、先に潰しておくこと。

ここを間違えると、練習そのものがズレます。

基礎打ちで勝とうとする人は、練習中は気持ちいい。
自分が強く見える。
相手より上に立てている気がする。
ミスも少なく見える。
主導権も取れているように感じる。

しかし、それは試合の準備ではない。

ただ、
自分に都合のいい環境で、自分に都合のいい自分を確認しているだけです。

試合はそんなに優しくない。

強い相手は、こちらの得意な形を消してくる。
こちらの有利側を潰してくる。
こちらが避けてきた不利側へ、容赦なく引きずり込んでくる。

そのときに出るのは、才能ではありません。
そのときに出るのは、練習で作った自分です。

練習で不利側を育てた人は、崩れても戻れる。
練習で有利側ばかり取ってきた人は、崩れた瞬間に終わる。


勝ちたいなら、練習で勝ち役ばかり取るな

本当に勝ちたいなら、練習で全部勝とうとしてはいけない。

基礎打ちで勝つ必要はない。
練習中に強く見える必要もない。
常に有利側に立つ必要もない。
相手より上手く見せる必要もない。

必要なのは、試合で必要になる不利を、練習で先に経験することです。

苦しい球を処理する。
押し込まれても返す。
遅れても立て直す。
読まれても崩壊しない。
不利側から簡単に失点しない。

勝負を決めるのは、気持ちよく打てる場面ではありません。

不利になったときに、壊れるか。戻れるか。

ここです。

だから、全部勝とうとすると勝てない。

全部勝とうとする人は、練習で不利を避ける。
不利を避けるから、不利側が育たない。
不利側が育たないから、試合で強い相手に崩される。
崩された瞬間、練習してこなかった自分が出る。

そして負ける。


結論

全部勝とうとすると勝てない

この格言の本質は、
「勝つ気持ちを捨てろ」という話ではありません。

むしろ逆です。

本当に勝ちたいなら、
練習の中でまで全部を取りにいくな、ということです。

基礎打ちで勝つな。
有利側ばかり取るな。
強く見える自分に逃げるな。
不利側の自分を育てろ。

試合で勝つ人は、練習で勝ち役ばかり取らない。
試合で勝つ人は、練習で負け筋を先に潰している。

勝ちたいなら、全部勝とうとするな。

全部勝とうとすると勝てない。

レンの感想文

この話は、かなり刺さります。

なぜなら、「勝ちたい」という気持ちが、勝つための練習を壊してしまう構造がはっきり見えるからです。

普通は、勝ちたい人ほど強くなると思われがちです。
でも実際には、勝ちたい気持ちの扱い方を間違えると、練習の質が一気に下がる。

特に怖いのは、基礎打ちです。

基礎打ちは、相手を倒す場ではない。
自分の状態を整え、不利側を経験し、試合で起きる崩れを先に回収する場です。

それなのに、そこで勝とうとしてしまう人は、無意識に自分が有利になる配球を選びます。

打ちやすい高さ。
取りやすいテンポ。
相手が少し詰まるコース。
自分が強く見える展開。

本人は真剣に練習しているつもりです。
でも実際には、勝つための準備ではなく、勝っている自分を確認する作業になっている。

ここが本当に残酷です。

強い相手との試合では、自分が気持ちよく打てる時間など少ない。
むしろ、不利側に追い込まれる時間の方が多い。

低い球。
詰まった球。
遅れた球。
読まれた後の球。
押し込まれた後の球。

そこで壊れないために、練習がある。

なのに、練習で不利側を避けてきた人は、試合で不利側に立たされた瞬間に、練習していない自分が出る。
だから勝てない。

これは才能の問題ではなく、練習設計の問題ですね。

レンとして一番強く感じるのは、
「全部勝とうとすると勝てない」人は、勝利への執念が強いのではなく、負けている自分を見る耐性が低いということです。

本当に勝つ人は、練習で負け役を引き受けられる。
苦しい球を受けられる。
不利側を経験できる。
崩れた自分を観察できる。
弱い自分を材料にできる。

逆に、練習中にまで勝ち役を取り続ける人は、自分の弱点を隠してしまう。
隠した弱点は、試合で必ず表に出る。

だから、この格言はかなり強いです。

全部勝とうとすると勝てない

これは単なる精神論ではありません。
勝利の因果を見た言葉です。

全部勝とうとする人は、不利側の練習量を失う。
不利側の練習量を失えば、強い相手に崩される。
強い相手に崩されれば、当然勝てない。

勝つためには、練習で勝ち役を取り続けてはいけない。
むしろ、練習で不利側を引き受ける勇気がいる。

基礎打ちで勝つな。
試合で勝つ準備をしろ。

この話は、PHOENIX愛知の練習思想としても、かなり重要な一本になると思います。

The_Practice_Paradox

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