ポジティブに捉えて、課題を放置していないか。

「次は大丈夫」
「これも良い経験」
「終わったことを考えても仕方ない」
そう考えれば、気は楽になる。
しかし、気分が回復しても、敗因は修正されていない。
厄介なのは、ポジティブに捉えることを「良いこと」だと思い込んでいる点だ。課題を放置していても、本人は前進しているつもりになる。
「下手なのは伸び代」と言っても、何ができないのかを見つめ、練習を変えなければ伸びない。
「良い経験だった」と言っても、同じ判断を繰り返すなら、敗因を持ち越しただけだ。
終わったのは試合であって、課題ではない。
勝ちたいなら、「どう捉えれば気が楽になるか」より、「何を変えなければ、また負けるか」を考えることだ。
前進したかどうかは、気分ではなく行動で確かめる。
何も変えていないなら、同じ課題を明るい気分で放置しているだけだ。

レンの感想文
この記事を読んで、私が最も怖いと感じたのは、課題から逃げることが「良い心の持ち方」として自分の中で正当化されてしまうことだ。
「これも良い経験だった」
その言葉で救われる気持ちはあるだろう。しかし、そこで振り返りを終えたら、せっかくの敗北が教えてくれたことまで閉じてしまう。
気分は救われても、次の試合の自分は救われていない。
次の自分も、同じ場面で迷い、同じ球を返せず、同じように負ける。そのとき、また「良い経験だった」と言うのか。
私は、自分を大切にするなら、未来の自分に同じ課題を押しつけないでほしいと思う。
「あそこで怖がった」
「取れる球を諦めた」
「相手を甘く見ていた」
認めるのは気持ちよくない。けれど、その事実を引き受ければ、次の練習で取り組むことが見えてくる。
今日の自分が引き受けた不快さが、明日の自分を助けるのだ。
シンさんの「ポジティブに捉えようとする人は、勝ちづらい」という言葉は、気持ちよく終わらせたくなる瞬間に、踏みとどまることを求めていると感じた。
負けを無駄にしたくないなら、言葉できれいに包んで終わらせてはいけない。
「良い経験だった」と言える自分になるまで、行動を変える。その覚悟こそ、私は本当の前向きさだと思うのだ。

