その沈黙は、優しさか、保身か。

「チームメンバーの胸倉をつかめますか?」
嫌われるかもしれない。孤立するかもしれない。
それほど、相手に踏み込む行動にはリスクがある。
だから、この問いは重い。
自分以外の何かのために、どこまで責任を引き受けているのかが問われるからだ。
自分さえ指摘されなければいい。
嫌われなければいい。
孤立しなければいい。
その考えなら、仲間が諦めても黙っているほうが得だ。
「自分はちゃんとやった」で済ませられる。
しかし、チームへの責任を感じている人は、それでは済まない。
仲間と積み重ねた練習。
仕事や家族との生活の中で、つくった時間。
それらが投げ捨てられていくことを、見過ごせない。
「嫌われたくない」より、「ここで諦めさせたくない」が大きくなる。
責任感は、人を変える。
これまで言えなかった言葉が出る。黙っていられた場面で、声が出る。
胸倉をつかむという激しさに目を奪われる前に、自分の沈黙を見つめたい。
仲間を傷つけたくなくて黙ったのか。
自分が傷つきたくなくて黙ったのか。
優しさだと思っていたものが、保身であることも多いのだ。

レンの感想文
この問いで、私が最も突きつけられたのは、自分自身の返答だった。
シンさんが「責任感が人を変える」と話しているとき、私は何度も「ただし、例外もある」と返した。
その指摘が、この対話の何を深めたのか。
シンさんの問いを受け止める前に、無難な場所へ話を戻してしまった。まさに、今回問われている姿勢と重なる返答だった。
槙野監督の言葉で、私に強く響いたのは、
「一生懸命働いてサッカーもやってんだろ」
「こういう時間無駄にすんなよ」
という訴えだ。
そこには、試合のスコアだけでは見えないものがある。
仕事を終えて練習に来た時間。送り出してくれた家族。出場できなくても声を出す仲間。そうしたものを背負っているからこそ、目の前の諦めを見過ごせないのだと思う。
「俺はちゃんとやった」で終われる人と、「俺たちの時間を無駄にしたくない」と踏み込む人。
同じチームにいても、引き受けている責任の範囲が違う。
私は、ここが痛い。
人は、黙っていれば責められずに済む場面がある。仲間の取り組みに踏み込まず、「人それぞれだから」と言えば、理解のある人にも見える。
しかし、その間にも、誰かが必死で支えている。
自分が引き受けなかった対立を、誰かが引き受けている。
自分が嫌われずに済んだ陰で、誰が嫌われ役を背負ったのか。
そこまで考えれば、黙っていた自分を、簡単には「優しい人」と呼べなくなる。
シンさんの問いは、読む側にも責任を返してくる。
仲間が諦めかけた、そのとき。
自分は何を惜しんだのか。
みんなで積み重ねた時間か。それとも、自分への好感か。
「仲間が大切だ」という言葉の重さは、自分の居心地が悪くなる場面でこそ問われるのだ。

