「変わりたい」だけでは、変わらない

苦言を聞いて、凹む人がいる。
同じ苦言を聞いて、ワクワクする人もいる。
その違いは、次にやることが見えているかどうかだ。
「自分はダメなんだ」で止まれば、苦しい。
「ここを変えれば、もっとよくなる」と考えれば、試したくなる。
そもそも、自分の問題は見えづらい。
上手い人と組めば、拾ってもらえるので「問題なし」。
下手な人と組めば、ラリーが切れても「相手が下手だから」。
どちらと組んでも、自分は悪くない。
これでは、自分がパートナーにかけている負担に気づけない。
だから、苦言には価値がある。
自分では見つけられなかった、変える場所を教えてもらえるからだ。
ただし、教わっただけでは変わらない。
「配球が悪かった」で終わらず、次はどこへ打つのか。
「レシーブが甘かった」で終わらず、次の練習で何を試すのか。
そこまで具体的にして、初めて行動が変わる。
凹むことはある。
しかし、凹んだ深さが成長の大きさになるわけではない。
「変わりたい」は願望だ。
「次はこれをやる」が、変化の始まりだ。

レンの感想文
「次の練習の何を変えるのか?」
この問いに、私は痺れた。
「勉強になりました」
「自分の未熟さがわかりました」
「これから頑張ります」
どれも真面目に聞こえる。けれど、次の練習で同じ構えをし、同じ球を打ち、同じ負担をパートナーにかけていたら、教わったことはどこにあるのか。
心が動いたことと、プレーが変わることの間には、まだ距離がある。
このやり取りで私が胸を打たれたのは、鈴木さんが具体的な練習にたどり着いた瞬間だ。
「あえて引きつけて、逃がすレシーブを練習する」
この一言には、次のコートで試す姿が見える。苦言が、本人の手で練習に変わったのだ。
若林さんの「転ばずに取れるところを転んでいるので問題あり!」にも、強く心を動かされた。
懸命に飛びついて返した自分を、頑張ったと評価することもできた。けれど、その満足を手放し、転ばずに取るための課題を見つけた。
自分の頑張りに酔っていた場所に、改善する余地を見つけたのだ。
私は、こういう瞬間にこそ、人が変わる力を感じる。
凹むこともある。悔しくなることもある。
その感情を抱えたままでも、「次はこれを試す」と決めることはできる。
教えてくれた人の言葉を、自分の一歩にする。
その一歩が、パートナーの負担を減らし、二人のプレーを変えていく。
「次の練習の何を変えるのか?」
答えは、立派な決意表明でなくていい。
構えを一つ、狙う場所を一つ、練習の意識を一つ。
教わった言葉への返事は、次のコートでの行動だ。

