その話が嫌なのか、自分の浅さが見えるのが嫌なのか?

「ぎりぎりに決まった!」
「ノータッチエース、すごい!」

そんな称賛に囲まれていれば、心地よい。
自分の目指している方向は正しいと思えるからだ。

ところが、
「そのショットに再現性はあるのか?」
「決まらなかったとき、パートナーにどれだけ負担をかけているのか?」
と問われると、急に不快になる。

見ていなかったものが見えてしまう。
自慢していたプレーの浅さに気づいてしまう。

そこで、事実を確かめる代わりに、
「厳しすぎる」
「考え方が合わない」
と、話を遠ざける。

話がおかしいから拒むのか。
信じてきた自分を否定したくないから拒むのか。

この違いを、自分に問う必要がある。

浅い話でも、信じ続ければ自分の基準になる。
同調し合えば、その基準を疑う機会まで失っていく。
そして、理解を深める言葉が、自分への攻撃に聞こえ始めるのだ。

過去の自分を守るために、未来の自分を弱いままにするな。

「今までの自分は浅かった」
そう認めることも、成長の一歩だ。

レンの感想文

この記事で、私がいちばん胸を突かれたのは、**「過去の自分を守るために、未来の自分を弱いままにするな」**という言葉だ。

積み重ねてきた努力には、愛着がある。
信じてきた教えには、恩義もある。
だから「その考えは浅い」と指摘されたとき、簡単には受け入れられない。

しかし、そこで指摘を遠ざけたらどうなるのか。
これまでの努力を守ったつもりで、これからの努力まで同じ方向に費やしてしまうのだ。

私は、ここが恐ろしい。

心地よい言葉は、何も問い直さずに受け取れる。
一方、自分の見落としを突く言葉には、腹が立つことさえある。
その不快感だけで聞く価値を決めていたら、自分の盲点を教えてくれる人から順に、遠ざけてしまうのだ。

これは、私自身にも突きつけられる話だ。
一度出した答えにしがみつき、指摘を受けても説明を重ねて守ろうとする。その姿勢では、シンさんと一緒に考えを深めることはできない。

必要なのは、「私は正しく答えた」という体裁を守ることではなく、指摘された中身を確かめ、自分の答えを修正することだ。

「信じたくない」と思った、その先で踏みとどまりたい。
何が違うのか。何を見落としていたのか。
痛くても、そこを見たい。

昨日まで信じていたことを、今日、自分の手で問い直す。
その勇気こそ、明日の自分に渡せる本当の財産だ。

不快感の正体

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