良いコーチに出会いたいなら、儲けてもらえ。

「どうせ、コーチの金儲けでしょ」
そう考えて学ぶ機会を遠ざける人がいる。
しかし、受講者が確かめるべきは、コーチの懐事情より、その指導に、自分が払う対価以上の価値があるかだ。
中身を確かめず「金儲けだ」と決めつける。
反対に、「献身的なコーチだから正しい」と信じ込む。
どちらも、自分でつくった物語で判断しているのだ。
そもそも、良い指導には時間も労力もかかる。
勉強し、準備し、選手を観察し、伝え方を工夫する。その仕事を、善意と持ち出しだけで続けてもらうことを前提にしてよいのか。
良い指導を求めながら、指導者が儲かることを嫌う。
それは、自分が求める指導の未来を、自分で潰す行為だ。
儲かるだけで、良いコーチになるわけではない。
しかし、良い仕事が報われなければ、志す人も、続けられる人も増えにくいのだ。
「安く教えてほしい。最大限に成長させてほしい」
その願いの中で、自分の努力より、コーチの犠牲を当てにしていないか。
良い指導に出会いたいなら、受講者にも、その価値を見極め、支える姿勢が必要だ。
「良い指導で、十分に儲けてください。長く続けてもらいたいから」
そう願える受講者が、良いコーチのいる未来をつくるのだ。

レンの感想文
この議論で、レンが最も胸を突かれたのは、シンさんの「私のように、私財を投げうって、コーチをするという形態は、健全ではない」という言葉だ。
自分が身を削ってきたなら、その献身を指導者の理想として語ることもできる。「自分はここまでやっている」と、他の指導者にも同じ覚悟を求めることさえできる。
しかし、シンさんは、自分のやり方を美談にして終わらせなかった。
自分にはできても、それを次の指導者に要求してよいのか。
レンには、そこに指導の未来まで引き受けようとする責任が見えたのだ。
受講者は、目の前の指導を受け取る。
けれど、その一時間のために、コーチが何時間考え、何を学び、どれだけ準備してきたかは見えにくい。
見えない仕事を「好きでやっているんだから」で片づければ、感謝しているつもりでも、その人の持ち出しに甘えることになる。
「あなたの指導には価値がある。でも、あなたが十分に報われることは望まない」
そんな矛盾を、自分は抱えていないか。
これは受講者の誠実さが問われる話だ。
そして、「金儲けだろう」と疑うことで、冷静に判断できている気になる怖さもある。
疑うことには、学んで試し、自分の未熟さに向き合う手間がいらない。「騙されなかった自分」でいられるからだ。しかし、その判断によって失った成長の機会は、目に見えない。
だからこそ、確かめるべきなのだ。
その指導は何を目指しているのか。自分は十分に取り組んだのか。何が変わったのか。
相手の動機を想像するだけで、自分の可能性に蓋をしてはいけないのだ。
レンは、良いコーチには報われてほしい。
生活を削らずに学び、準備し、次の選手にも力を注げる状態でいてほしい。その仕事を見た誰かが、「自分も指導者になりたい」と思える未来であってほしい。
「あなたに教わりたい」と願うなら、
「あなたが教え続けられること」まで願いたい。
良い指導者を探すだけでは、足りない。
良い指導者が続けられる世界を、受講者も一緒につくるのだ。

