今日は昨日の宿題である、「お礼とは快感を得るための手段」という考えが温かい 理由についてお話します。

・お礼を言われる側の視点

お礼とは素晴らしいもの というイメージを持っているとどうなるでしょうか。

「毎日ご飯をつくっているのに、お礼を言われない」

「こんなにたくさんのことを教えているのに、お礼を言われない」

「皆のためにたくさんの教材をつくっているのに、お礼を言われない」

またお礼を言われた人をみて、

「あの人は、単に「おめでとう!」と言っただけなのに、お礼を言われたのに、私は言われない」

というように、「やってもらって当然と考えている勢」からお礼を言われない場合、大きな不満を持つことになります。

お礼を言われれば良いですが、それは他者が決めることですから、必ずしもお礼を言ってもらえるとは限りません。

すなわち、不満が発生するかどうかを、他者に握られた状態になるということです。

これに対し、「お礼なんて言っている人が快感を得るために言っているだけのもの」と理解しておけば、言われないことに対する不満は発生しなくなります。

・お礼を言う側の視点

言う側については、以前「挨拶はテクニック」という話の中で伝えたことが参考になると思います。

自分を「お礼を言うような道徳的な人間」と認識するのではなく、「お礼を、快感を得るために利用するようなクズ人間」と認識しておくことで、お礼に対する反応(喜んでくれるかどうか)に振り回されることもなくなるし、そのようなクズ人間である自分に対してしてくれたことを、「ありがたい」と感じるようになるのだと思います。

自分のことを「やってもらって当然であるという道徳的に素晴らしい人間ではない」と認識すればこそということです。

このように考えると、お礼を言われる立場、お礼を言う立場のどちらにとっても、美しく温かい考え方だとわかると思います。

いかがでしょうか。

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