タイトル: 【喝!】コートで“お客様”になってないか? バスケ観戦で痛感した、勝負を分ける「たった一つ」の差
皆さん、こんにちは。中島信頼です。
先日、縁あって中学生のバスケットボールの大会を観戦する機会がありました。全国から集まったチームが鎬(しのぎ)を削る姿は、なかなか見応えがありましたよ。
さて、私がこういう他の競技を見る時、つい注目してしまうのは「バドミントン選手との差」です。特に、負けている側のチーム、劣勢に立たされている選手たちの振る舞いに目が行きます。なぜなら、勝っている時に良いプレーをするのは当たり前。苦しい状況でこそ、その選手、そのチームの本当の姿、いわば「真価」が問われると私は考えているからです。
そこで気づいたことがあります。
私の知るバドミントンの試合、特に点差が大きく開いた場面では、残念ながらプレーが雑になったり、どこか投げやりになったり、ひどい時にはふてくされたような態度を見せる選手が、正直、少なくないように思います。皆さんの周りではどうでしょうか?
ところが、そのバスケットボールの大会では、大差をつけられているチームであっても、最後まで必死にボールを追い、声を出し、仲間を鼓舞する選手ばかりでした。もちろん、監督がベンチで火の出るような檄を飛ばし続けていた、というのもあるでしょう。点差が開くと、ふんぞり返って腕組みし、コートに背を向けんばかりの監督が散見される(?)バドミントン界とは、少し違う光景かもしれませんね。皮肉ですが。
しかし、理由はそれだけではない、と私は直感しました。
考えてみてください。
バドミントンは、コート上の味方が最大でも一人です。シングルスに至っては、広大なコートに自分一人。もし自分が精神的に崩れてしまったら? 味方であるはずの監督が、ベンチで諦めたような態度を取っていたら?
厳しいことを言いますが、バドミントンのコートに立ったら、苦境において、誰もあなたを直接的に支えてはくれません。 コーチの声援も、ダブルスパートナーの励ましも、最終的にシャトルを打ち返し、ポイントを取るのは、他の誰でもない「あなた自身」なのです。もし心が折れたら、プレーが雑になったら、その責任は全て自分に跳ね返ってくる。まさに、甘えが一切通用しない世界と言えるでしょう。
一方で、バスケットボールには常に4人の仲間がコート上にいます。誰か一人が心が折れそうになっても、他の誰かが「まだ終わっていない! やるぞ!」と声を上げ、プレーで示せば、チームは再び息を吹き返すことができる。そして、そういう**「やるぞ!」という気概を持った選手こそが、チームが苦しい場面でコートに送り出される**のです。一人でもそういう選手がいれば、チームは望みを繋ぐことができる。
翻って、バドミントンはどうでしょうか。
ダブルスであれ、シングルスであれ、「誰か」がやってくれるのを待つことはできません。コートに立つ選手一人ひとりが、どんなに苦しい状況であっても、「自分がやるんだ」「ここを凌げば流れが変わるかもしれない」という強い意志、すなわち「覚悟」を持ち続ける必要があるのです。
「監督が何とかしてくれるだろう」「パートナーが頑張ってくれるだろう」「あとは良い状況さえ作ってくれれば(おぜん立てさえしてくれれば)、自分は力を発揮しますよ」…そんな風に、どこか『誰かに何かをやってもらう』のを待っている受け身の姿勢、まるで“お客様”のような感覚でコートに立っている選手はいませんか? バドミントンにおいて、その考え方は致命的です。常に、**「この苦しい状況で、自分に何ができるか?」「自分がどう動けば、この状況を打開できるか?」**と問い続け、主体的に考え、行動する姿勢が求められます。全員が「やるぞ!」という当事者意識を持った選手でなければ、あっという間に試合は終わってしまいます。
だからこそ、私は日頃から「内省」や「価値観」の話を重視するのです。技術や戦術はもちろん大切です。しかし、それ以上に、自分が何のためにプレーするのか、どんな状況でも揺るがない自分自身の「軸」=「覚悟」を持つことが、土壇場で力を発揮するために不可欠だと考えています。
残念ながら、多くの選手、いや指導者までもが、目先のショットやフットワークといった「技術」ばかりに目を奪われ、この最も重要な**「心の技術」、すなわち「どんな状況でも、自分に何ができるか?」を問い続け、覚悟を持って実行する力**を磨くことを怠っているのではないでしょうか?
劣勢になった途端に集中力を失い、プレーが雑になる。ミスを連発し、ふてくされた態度を取る…。それは、技術の問題というよりも、自分自身の弱さと向き合うことから逃げているだけ、あるいは、自分がすべきことから目を背け、責任を放棄しているだけなのかもしれません。
厳しい言い方になりますが、それではいつまで経っても、本当の意味で「勝つ」ことはできないでしょう。なぜなら、バドミントンという競技は、技術以上に、逆境において己を律し、「自分に何ができるか」を問い続け、最後まで戦い抜く覚悟を、私たちに問い続けているのですから。
皆さんは、どう考えますか?