YouTube『マツダの魂』レポート:広島の灰燼から生まれた不屈のロータリー

広島の原爆ドームを背景にしたマツダ・コスモスポーツ

Phoenix-Aichiオンライン教室 広報担当の結衣です。

皆さん、こんにちは!広報担当の結衣です。今日は、ただの自動車メーカーの歴史ではありません。日本の魂、広島の不屈の精神そのものを体現する企業、「マツダ」の物語をご紹介します。

中村氏の著書『マツダの魂』を手に取り、私は冒頭の写真に釘付けになりました。初代「コスモスポーツ」と、背景に映る「原爆ドーム」。この一枚が、単なる「カッコいい旧車」の写真から、「人間の矛盾と葛藤、愚かさと英知」を突きつける象徴へと変わったのです。

原爆とコンピューター、そしてロータリー

なぜ、この一枚がそれほどまでに重い意味を持つのか。それはマツダが、あの広島の企業だからです。

1945年、一発の原子爆弾が広島を壊滅させました。マツダの本社工場も爆心地からわずか5.3km。多くの関係者が犠牲となった、紛れもない被災企業です。当時のアメリカのニュースは「広島は向こう70年、草木も生えない死の土地となった」と報じたほどでした。

しかし、マツダは、広島は、立ち上がった。

そして、この話には強烈な皮肉が隠されています。コスモスポーツの心臓部、マツダの代名詞である「ロータリーエンジン」。この実用化は、とてつもない壁の連続でした。特に、エンジン内部(ハウジング)の形状に使われる「トロコイド曲線」という複雑怪奇な曲線。これは、人間の手計算では図面を引くことすら不可能な代物だったのです。

【専門用語解説】トロコイド曲線
簡単に言えば、「ある円が別の円の内側や外側を転がるときに、円周上の一点が描く軌跡」のことです。ロータリーエンジンでは、おむすび型の「ローター」が、まゆ型の「ハウジング」内部を複雑に回転します。この動きを完璧に制御し、気密性を保つための形状がトロコイド曲線であり、その設計には精密な計算が不可欠でした。

この不可能を可能にしたもの。それが、「コンピューター」でした。マツダは当時、日産よりもトヨタよりも早く、日本のどの自動車メーカーよりも先にコンピューターを導入し、この難題を打ち破ったのです。

……ここに、歴史の皮肉があります。

あの広島を破壊した原子爆弾。その開発を指揮した「原爆の父」オッペンハイマーですら、開発成功時に「我は死神なり、世界の破壊者なり」と葛藤の言葉を残しました。そして、その原爆開発を計算面で強力に後押しし、完成に導いたのが、「コンピューターの父」と呼ばれる天才フォン・ノイマンでした。

【人物解説】フォン・ノイマン
「コンピューターの父」と呼ばれる天才数学者。現代の私たちが使うほぼ全てのスマートフォンやPCの基本設計(メモリにプログラムとデータを置き、CPUが順に処理する方式)は「ノイマン型コンピューター」と呼ばれています。彼は原爆開発においても、その計算能力で不可欠な役割を果たしました。

人を無差別に殺戮する兵器を生み出すために不可欠だったコンピューター。そのコンピューターの力を借りなければ、マツダはロータリーエンジンを実用化できなかった。

原爆投下から、わずか22年。最大の被災地・広島の企業が、世界中のどのメーカーも成し得なかった快挙を、皮肉にも原爆開発の副産物とも言える技術の助けを借りて達成したのです。

この写真を見たとき、私は「人間とは、なんと愚かで、なんと賢く、そしてたくましい生き物なのだろう」と震えました。マツダという企業は、まさに日本そのものの象徴なのだと。

「金儲けの神様」創設者・松田重次郎

では、この世界的な企業の土台は、一体誰が築いたのでしょうか。その男こそ、実質の創設者、松田重次郎(まつだ じゅうじろう)です。

この人物、一言で表すなら「金儲けの神様」であり、「技術の天才」。まさにチート級の能力を持った男でした。自分でモノを作れる技術力と、それをビジネスにする商才。この両輪を兼ね備えていたのです。

エピソード1:水道メーターと「松田式ポンプ」

30代前半の重次郎は、当時よく壊れたイギリス製の水道メーター修理に目をつけます。彼はただ修理するだけではありませんでした。他社より圧倒的に高品質な修理(オーバーホール)で信頼を得ながら、冷静に分析します。

「そもそも、なぜこんなに壊れるんだ?」「メンテナンス性も最悪だ」

原因がポンプにあると突き止めた彼は、なんと自分で新型ポンプを開発してしまいます。壊れにくく、部品交換も簡単な、まさに理想のポンプを。そして、ただ作るだけでは終わりません。すかさず「松田式ポンプ」として特許を申請。会社(松田式ポンプ合資会社)まで立ち上げ、大成功を収めます。

エピソード2:裏切りと「松田製作所」

しかし、成功は妬みを生みます。信頼していた幹部の裏切り(横領の濡れ衣)に遭い、十次郎は潔白を証明した後、自ら会社を去る決断をします。

常人ならここで心が折れます。しかし重次郎は違いました。「辞めたなら、もう一つ作ろうじゃないか」。彼は大阪で「松田製作所」を新たに設立。今度はポンプではなく、軍需部品である「信管(しんかん:爆弾の起爆装置部品)」の製造に乗り出します。国内外から受注が殺到すると、彼は臆することなく大阪・梅田の一等地に3500坪の巨大工場を建設。生産能力を一気に拡大し、この会社も株式上場(株価は大阪取引所の2位!)させるという離れ業をやってのけます。

エピソード3:故郷・広島と「東洋コルク工業」

順風満帆に見えた松田製作所。しかし重次郎は、さらなる生産拡大のため、故郷・広島への工場移転を提案します。土地が安く、物流も悪くない。合理的な判断でした。しかし、幹部たちは「地元にいい格好をしたいだけだ」と猛反発。十次郎は、またしても会社を去ります。

そして、彼が次なるビジネスの地に選んだのが、故郷・広島。彼が立ち上げた会社こそ、後のマツダとなる「東洋コルク工業」でした。

今度はコルクです。ポンプでも信管でもない。彼はここでも天才的なアイデアを発揮します。通常なら廃棄される「クズコルク」に目をつけたのです。

「クズコルクを接着剤で固めても耐久性が悪い。……待てよ?加熱すればどうだ?」

コルク自身が持つ樹脂を、加熱によって溶かし出し、天然の接着剤として利用する。この技術革新により、原価はタダ同然のクズコルクが、接着剤を使う製品より高強度・高断熱の高品質コルクボードに生まれ変わったのです。ビジネスが軌道に乗らないわけがありません。

この東洋コルク工業を土台に、彼はオートバイ、三輪トラック、そして四輪自動車へと、マツダの未来を切り開いていきました。彼の不屈の精神と商才がなければ、今のマツダは存在しなかったのです。

葛藤の継承者「松田恒治」とロータリー

さて、ここからが本題の「ロータリーエンジン」です。ですが、この偉業を成し遂げたのは、天才・十次郎ではありません。その息子、松田恒治(まつだ つねじ)です。

この二人の対比は、実にドラマチックです。

  • 父・重次郎: 天才的な個人の能力でゼロから富を生み出し、会社を築いた「金儲けの神様」。
  • 子・恒治: 偉大すぎる父の背中を見ながら、常に「父を超えられない」という葛藤と劣等感の中で生きた男。

個人の力では、恒治は父・十次郎には及ばなかったかもしれません。しかし、歴史は彼を選びました。ロータリーエンジンという、誰もが不可能だと諦めた夢の実用化を成し遂げたのは、他の誰でもない、この松田恒治だったのです。

YouTubeはここでクライマックスを迎えますが、恒治がどれほどの苦境の中で、この「夢のエンジン」に賭けたのか。それは、父が築いた土台の上で、父とは違うやり方で世界を驚かせ、父を超える唯一の道だと信じたからではないでしょうか。

「ロータリーエンジンこそが、苦しんでいる今のマツダにとっての救世主になる」

吉田茂(当時の首相)からの推薦状まで携え、彼はこの困難な技術に挑みました。その執念が、あの原爆ドームを背景にした「コスモスポーツ」を生み出したのです。


広報担当・結衣より(書籍『マツダの魂』感想)

今回、この『マツダの魂』の物語に触れ、私は「歴史」とは単なる事実の羅列ではなく、人間の「業(ごう)」と「希望」の物語なのだと改めて痛感しました。

原爆を生み出した人間の「愚かさ」と「英知」。
その灰燼の中から立ち上がり、不可能を可能にした広島の人々の「たくましさ」。

そして、松田重次郎という人物の、何度裏切られても立ち上がる「ゼロから生み出す力」。
松田恒治という人物の、偉大な父への葛藤をバネにした「不可能を可能にする執念」。

マツダの歴史は、技術の歴史であると同時に、人間のどうしようもない矛盾と、それでも前へ進もうとする強烈なエネルギーの歴史です。私たちがマツダ車に惹かれるのは、その美しいデザインや「人馬一体」の走りだけでなく、その根底に流れる、この熱く、泥臭く、不屈の「魂」を感じ取るからなのかもしれません。

この本は、単なる一企業の成功譚ではなく、困難な時代を生きる私たち全員への応援歌だと感じました。胸が熱くなる、最高のレポートでした!

 

「マツダの魂」の書籍表紙

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