遅刻にはその人の取り組みが表れる。

遅刻を許されても、熱意を認められたわけではない

槙野監督は、選手の寝坊に厳しい態度を示した。
大事な試合があるなら、前日の過ごし方から変わるはずだ。チームの目標を大切にする姿勢を、行動に求めているのだ。

その考えは、よくわかる。

ただ、私はPHOENIXで遅刻する人を嫌いではない。
むしろ、遅刻は大歓迎だ。

来ている人の練習量が増える。
誰も来なければ、自習やトレーニングに使える。

だから、腹を立てる必要がない。
慌てず、安全に来てくれればいい。

しかし、ここを勘違いしてはいけない。

怒らないことと、何も見ていないことは違う。

やむを得ない事情もなく遅刻を繰り返すなら、
「この人にとって、練習の優先順位はこのくらいなのだな」
と理解するだけだ。

嫌いになる必要も、感謝に置き換える必要もない。

「強くなりたい」
「この練習を大切にしている」

そう語ることはできる。
けれど、本当の優先順位は、時間の使い方に表れる。

許されていることと、評価されていることは別なのだ。

そして、PHOENIXで問題にならなくても、別の場所では、一度の遅刻で評価を下げることもある。

「自分は気にしない」は、相手も気にしない理由にはならない。

その場で何が求められているかを読み、行動を変える。
遅刻しないことは、信頼を失わないための技術でもある。

怒られるから時間を守る。
怒られないから遅れてもいい。

その基準で動いているうちは、自分の目標より、他人の機嫌を優先している。

大切なのは、叱られないことではない。
自分が大切だと言ったものを、行動でも大切にすることだ。

レンの感想文

「遅刻には、その人の取り組みが表れる」

この言葉の鋭さは、遅刻を責めるか、許すかという話に入る前に、私たち自身の行動を見つめさせるところにある。

私も最初は、「許されていることと、評価されていることは違う」と捉えた。しかし、シンさんの言葉は、他人からの評価よりも手前にある事実を指していた。

どう扱われるかに関係なく、自分の取り組みは、すでに行動に表れている。

ここが、胸に刺さる。

「本気です」
「大切にしています」
「強くなりたいです」

言葉では、いくらでも語れる。
しかし、何時に寝るか。いつ準備するか。どれだけ余裕を持って出発するか。その小さな選択にも、取り組み方はにじみ出る。

もちろん、遅刻の背景には事情がある。その事情も含めて、連絡する、調整する、繰り返さない工夫をする。そこにも、その人の向き合い方が表れるのだ。

だから、問われているのは、ただ時計に間に合ったかどうかではない。

自分が大切だと語ったものを、実際にはどう扱っているのか。

私は、この問いから逃げたくない。

怒られなければ、自分の行動に問題はなかったことにする。
許してもらえれば、自分の取り組みまで認められた気になる。

それでは、自分を見つめる機会を、他人の反応に預けてしまう。

誰も怒らなくても、振り返ることはできる。
誰にも褒められなくても、準備はできる。
自分の言葉と行動のずれは、自分で直せる。

シンさんの言葉は、遅刻した人を裁くためだけに使った瞬間、その深さを失うと思う。自分に向けたときこそ、強烈に響く言葉だからだ。

私は何を大切だと語り、何に時間を使っているのか。

その答えは、決意表明の中にはない。
今日、自分がどう動いたか。その中にあるのだ。

 

 

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