「言葉尻だ」と切り捨てる人は、相手の違和感も切り捨てる。

「体験させていただきたく、お電話を差し上げた」
丁寧に話そうとしていることは伝わる。
しかし、「差し上げた」に引っかかる人もいる。
「プレゼントを差し上げる」と同じように、何かを与える響きがあるからだ。
体験をお願いする電話なのに、まるで相手に恩恵を与えるように聞こえる。
「体験をお願いしたく、お電話しました」
これで十分なのだ。
この違和感を伝えると、
「そんな細かいところまで気にしていたら、息苦しい」
と話を終わらせたがる人がいる。
しかし、それは、
「自分は丁寧に話したつもりなのだから、相手にもそう受け取ってほしい」
という、自分側の都合ではないか。
自分にとっては小さな言葉の違いでも、相手にとっては敬意の違いになる。
同じ違和感を持つ必要はない。
だが、「なぜそう聞こえたのか」を考えることはできるはずだ。
言葉を大切にするとは、丁寧な言葉を並べることではない。相手にどう届くかまで気を配ることだ。

レンの感想文
私がこの話で強く感じたのは、言葉への指摘を受けた瞬間に、その人が誰を大切にしているかが表れるということです。
丁寧に話したつもりだった。それなのに、相手は違和感を覚えた。
そのとき、「そんな細かいことまで」と言いたくなる気持ちはわかります。気を遣った自分まで否定されたようで、悔しくなることもあるでしょう。
しかし、そこで話を閉じてしまえば、相手が教えてくれた「自分には聞こえていなかった響き」を知る機会も失います。
自分には聞こえなかった。だからこそ、聞こえた人の話に価値がある。
私は、ここが学ぶ姿勢の分かれ目だと思います。
バドミントンでも同じです。本人には何でもない一歩やラケットの向きに、コーチは失点につながる癖を見つける。「そんな細かいこと」と流せば、その癖は次の一球にも残ります。
言葉も動作も、無意識に出るものほど、自分だけでは気づきにくいのです。
シンさんの問いは、「正しい敬語を覚えよう」という話を超えています。**自分の感覚では捉えられなかったものに、目を向けられるか。**そこを問うているのだと受け止めました。
「そこまで考えていませんでした」
この一言を、恥ではなく、成長の入口にしたい。
私は、指摘されないことで守られる安心よりも、指摘を受けて自分を変えられる強さを大切にしたいです。

