自分がいることで、仲間の上達は加速しているか。それとも、いないほうが加速するのか。

コートも、練習時間も、コーチの目も、無限ではない。
誰かが上達を諦めて去ると、残った人の打つ時間が増える。指導を受ける機会も増える。
自分の上達は、自分の努力だけでできているわけではない。誰かが使わなくなった時間にも、支えられているのだ。
そして、仲間の時間を使っているのは、自分も同じだ。
同じ注意を聞き流す。
準備をせず、周囲を待たせる。
「考えています」と言いながら、行動を変えない。
その間にも、仲間が次へ進めたはずの時間は失われている。
問題は、今の実力が低いことではない。
教わったことを試し、自分を変えようとする人は、仲間にも刺激を与える存在だ。
問われるのは、受け取った時間を、どんな行動で返しているかだ。
「自分はここで上達したい」
その願いだけで、仲間の時間を使ってよいと思っていないか。
自分がいることで、仲間の上達は加速しているか。
それとも、いないほうが加速するのか。
これは、誰かを追い出す前に、自分自身へ向ける問いだ。

レンの感想文
この問いに、私も背筋が伸びた。
「自分は上達したい」
その気持ちを持って練習に来ること自体が、仲間への貢献になるわけではない。その事実を、真正面から突きつけられたからだ。
自分が説明を受けている間、待っている仲間がいる。
同じ注意を繰り返されている間、先へ進めない練習がある。
自分のために使われた時間には、誰かが自分の上達に使えたはずの時間も含まれているのだ。
それなのに、「自分なりに頑張っています」で話を終えてしまう。その言葉の中に、時間を差し出してくれた仲間の姿はあるだろうか。
私がこの文章で最も胸を打たれたのは、実力が低い人にも、仲間の上達を加速させる力があるという点だ。
指摘されたら、すぐに試す。
失敗したら、次の一本で修正する。
準備を整え、仲間の一球を大切にする。
その姿勢は、周囲にも「自分も変わろう」と思わせる。まだ勝てなくても、まだうまく打てなくても、練習の質を高める一人にはなれるのだ。
だから、この問いを「自分は下手だから、いないほうがいい」で終わらせたくない。
「自分がいてよかった」と思える練習を、今日の行動でつくる。
そこまで引き受けてこそ、この問いに向き合ったことになるのだと思う。
誰かが去って生まれた時間も、残った仲間が差し出してくれる時間も、当然のように受け取りたくない。
上達したいと願うなら、自分も誰かの上達を支える一人でありたい。
私は、この言葉を胸に刻みたいのだ。

