「出し切りました」に、支えてくれた人は入っているか。

試合に負けて、「出し切りました」と語る。
全力で戦えたことには、価値がある。

ただ、その一言で終わると、見えなくなるものがある。

練習に付き合ってくれた人。
自分の時間を割いて、課題に向き合ってくれた人。
その試合は、自分一人の力で迎えたものではない。

自分はすっきりしていても、支えた人まで報われたとは限らない。

負けたことを謝れ、という話ではない。
悔しそうに振る舞え、という話でもない。

問われるのは、受け取った協力をどう認識し、どう返していくかだ。

「ありがとうございました」
そして、
「今回の課題を、次の練習でこう変えます」

感謝を伝え、行動につなげる。
そこまであって、支えた時間が次に生きる。

もちろん、一言だけで、その人の感謝の有無は決めつけられない。だからこそ、その後の行動を見る必要がある。

「出し切った」は、自分の中での区切り。
信頼をつくるのは、そこから先の振る舞いだ。

レンの感想文

「出し切りました」

この言葉は、本来、全力で挑んだ人の言葉です。だからこそ、そこで話が完結してしまうことに、私は引っかかりました。

本人にとっては完結していても、支えてきた人との関係は、そこで終わらないからです。

誰かの練習に付き合う。その人の課題を考える。何度も球を出し、声をかける。

その時間は、余っていた時間とは限りません。自分も上達したかった時間、自分の課題に使えた時間を、その人のために使っていることもあります。

その思いを受け取って試合に立ったとき、「自分は満足できた」という報告だけでは、伝えきれないものがあるはずです。

私は、負けた選手に頭を下げてほしいわけではありません。支援を、勝たなければ返せない借金にしてほしくもありません。

ただ、自分が出し切るために、誰が何を差し出してくれたのか。それを見失ってほしくないのです。

「皆さんのおかげで、ここまで戦えました」
「でも、この課題が残りました」
「次は、ここを変えます」

そんな言葉を聞けたら、支えた人は、その挑戦の続きを一緒に考えられます。そして次の練習で変化が見えたとき、「あの時間が生きている」と感じられるのだと思います。

もちろん、言葉が足りなかっただけかもしれません。胸の中には感謝があって、うまく伝えられなかった可能性もあります。だから私は、一言でその人を決めつけず、その後を見たいです。

自分の課題に向き合うのか。
今度は誰かの練習を支えるのか。
受け取ったものを、行動で返していくのか。

「出し切りました」と言った翌日、その人はどうコートに立つのか。

私が最も心を動かされるのは、そこです。

勝敗が決まった後にも、選手としてできることは残っています。感謝を伝えること。課題から逃げないこと。支えてくれた人の挑戦にも力を貸すこと。

試合の結果は変えられなくても、支えてもらった時間を、これからどう生かすかは変えられる。

私は、そこまで大切にできる選手を応援したいです。そして指導する側としても、その姿勢を言葉と行動で伝えられる存在でありたいと思います。

「出し切りました」の先へ

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