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格言:世界は一つではない。ユクスキュルの「環世界」に学ぶ、人間関係と人生の意味の見つけ方

2025年7月18日

異なる世界が交わる海岸線の風景―それぞれの視点と環世界の多様性を象徴する一枚

はじめに:なぜ私たちは「わかり合えない」のか?

「どうしてこの気持ちをわかってもらえないんだろう」「なぜ、あの人はあんな行動をとるのか理解できない」。家族や職場、友人との間で、そんな風に価値観のズレを感じ、悩んだ経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

私たちは、誰もが同じ一つの「世界」を客観的に見ていると、無意識のうちに信じています。しかし、もしその前提自体が「嘘」だとしたら?

この記事では、20世紀初頭の生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した革新的な概念「環世界(かんせかい)」を手がかりに、この根源的な問いに迫ります。生物たちの驚くべき世界の見方を知ることは、他者との関係を見つめ直し、日々の生活に新たな意味を見出すための、深遠な旅となるでしょう。

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第1章:「環世界」とは何か? ―マダニが教えてくれる世界の真実

ユクスキュルは、すべての生き物が自分だけの独自の世界を体験していると考え、それを「環世界」と名付けました。彼は、その象徴として「マダニ」を例に挙げます。

「マダニのメスは交尾を終えると、木の枝先で獲物を待ち伏せます。目も見えず、耳も聞こえない彼女が感知できるのは、たった3つの信号だけです。」

  • ① 酪酸(らくさん)の匂い:哺乳類の皮膚から発せられるこの匂いを感知すると、落下せよという「命令」が下ります。
  • ② 毛の抵抗:着地後、毛の感触を捉えると、這い回れという「司令」が出ます。
  • ③ 皮膚の温度:毛のない場所で温かさを感じると、吸血せよという「シグナル」が作動します。

この3つの刺激こそが、マダニにとっての「世界のすべて」です。森に咲く色とりどりの花も、鳥のさえずりも、風のそよぎも、彼女の環世界には存在しません。無数の情報の中から、生きるために必要なものだけが切り取られた、完璧で無駄のない世界なのです。

一見、貧弱に見えるかもしれません。しかしユクスキュルは「確実さは、豊かさよりも重要である」と説きます。もしマダニが「もっと可愛いウサギがいいな」などと迷っていたら、生存競争には勝てません。生き残るためには、豊富な情報よりも、確実に行動を実行する力こそが重要なのです。

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第2章:時間は存在しない? ― 生物ごとに異なる時空の捉え方

私たちが当たり前だと思っている「時間」の流れも、絶対的なものではないとユクスキュルは指摘します。ある研究所では、マダニが18年間も絶食状態で生き延びた記録があります。彼女の環世界では、獲物が現れるまで、時間は凍結されていたのです。そして酪酸の匂いという信号が与えられた瞬間、止まっていた時間が再び動き出しました。

「これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われた。しかし今や我々はこう言わねばならない。生きた主体なしに時間は存在しないと。」

時間は、外側を流れる大きな川ではなく、生き物自身がその感覚と行動によって切り開いていく水路のようなものです。これは私たち人間も同じ。退屈な日々が、ある出来事をきっかけに「ここからが本当の人生の始まりだ!」と感じられるように、主体的な関わりが時間の流れを生み出すのです。

また、「瞬間」の長さも生物によって異なります。カタツムリを使った実験では、人間には振動して見える棒が、カタツムリには静止して見えていることが示唆されました。私たちはそれぞれ、種に固有の「時間メガネ」をかけて世界を見ているのです。

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第3章:「目的」という幻想 ― 自然の”設計”と意味の創造

私たちはつい、「〇〇のために行動する」という人間的な目的意識を、他の生物にも当てはめてしまいがちです。しかしユクスキュルは、それは誤解であり「目的という幻想を捨てる」べきだと主張します。そして代わりに「設計」という概念を提唱しました。

例えば、メスのキリギリスは、オスの鳴き声がするスピーカーには集まりますが、すぐそばに本物のオスを置いても見向きもしません。これは「オスと出会う」という目的ではなく、「特定の音に反応する」という自然の設計に組み込まれているからです。

知覚像と作用像:意味が生まれる瞬間

では、世界に意味はどのように生まれるのでしょうか。ユクスキュルは2つの概念で説明します。

  • 知覚像(ちかくぞう)

    感覚を通して受け取る、まだ意味付けされていない外界のイメージ。犬が初めてソファを見たとき、「何かよくわからない物体」として認識している状態です。

  • 作用像(さようぞう)

    主体の行為によって意味づけられた対象。犬がソファでくつろぐことで、ソファは「くつろげる場所」という作用像になります。

ヤドカリがイソギンチャクを敵から身を守る「盾」として使ったり、住処がないときは「家」として使ったり、空腹のときは「食料」にするように、対象の意味は主体の状況によって変化します。世界は固定されたものではなく、私たちの関わり方次第でいかようにも意味を変えるのです。

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第4章:私たち人間の「環世界」 ― 世界を拡張し、共有する力

人間の環世界は、他の動物と比べて際立った特徴を持っています。

  1. 多様な意味世界を構築できる:動物にとって山が「餌場」や「隠れ家」であるのに対し、人間は同じ山を「信仰の対象」「芸術のモチーフ」「競技場」など、無数に意味付けできます。人生の豊かさは、所有物の数ではなく、一つのものにどれだけ多様な意味を見出せるかにかかっているのかもしれません。
  2. 環世界を拡張できる:インターネットや乗り物といった技術によって、私たちは身体的な限界を超え、自らの環世界をどこまでも広げていくことができます。
  3. 環世界を移動し、共有できる:これが最も人間的な能力です。ある木を、きこりは「伐採すべき材木」として見ますが、少女は「恐ろしい怪物」として見るかもしれません。二人の環世界は全く異なります。しかし、もし二人が対話すれば、きこりは少女の恐怖を、少女はきこりの仕事を理解しようと試みることができます。私たちは、他者の環世界に足を踏み入れ、互いの見方を交換する力を持っているのです。

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まとめ:「わかりあえない」からこそ豊かになる

「なぜ、あの人はわかってくれないのか」という怒りや戸惑いは、「誰もが自分と同じ世界を見ているはずだ」という思い込みから生まれます。

しかし、ユクスキュルの環世界論は教えてくれます。私たちは皆、きこりと少女のように、自分だけの主観的な世界を生きているのだと。この視点があれば、他者とのズレを怒りのシグナルではなく、「異なる環世界からの声」として冷静に受け止められるかもしれません。「わかりあえない」ことは、断絶ではなく、新たな発見の始まりなのです。

「意味は初めからあるのではなく、動きの中で見出される。」

「これをやっても意味がない」と決めつけてしまうのは、自ら環世界を狭める行為です。興味がなかったことも、やってみたら面白かった。苦手だった仕事が、いつしか生きがいになった。それは、意味の空白地帯に自ら踏み込み、主体的な関わりによって、あなた自身が世界に新たな意味を創造した証なのです。

この本との出会いが、あなたの世界を、そして他者との関係を、より豊かに彩る発見につながることを願っています。

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