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格言:「投げられた石に善悪はない」―成功より“ニコニコ没落”を。停滞を打破する3つの力

公開日: 2025年8月5日

険しい雪山に挑む登山家―挑戦と不確実性の受容を象徴する風景

はじめに:ローマ皇帝の格言と「成功物語」への違和感

約2000年前、ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウスは、多忙な政務の傍ら、自らの思索を日記に書きつけていました。その中に、こんな言葉が遺されています。

「投げられた石にとって、登っていくことが善でもなければ、落ちていくことが悪でもない。」

— マルクス・アウレリウス

私たちは、世に溢れる「成功物語」に囲まれて生きています。しかし、その輝かしい物語に、どこか違和感を覚えていないでしょうか?この記事では、成田悠輔氏のスピーチを基に、この古代の格言が現代を生きる私たちに何を教えてくれるのかを探ります。成功という呪縛から自らを解き放ち、停滞した状況を打ち破るための、新しい視点を提供します。

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「グダグダな人生」の肯定から始める。本当に必要な「意味不明な勇気」

世に溢れる成功物語に、私たちは少々うんざりしているのかもしれません。成田氏は、まず幻想を打ち砕くことから始めます。歯に衣着せぬ物言いで、こう断言するのです。

「ほとんどの人間にとって人生はそんな大したものにはならないですからね。成功物語とかほど遠いですね、結構グダグダな人生が待ってると思うんですよ。」

彼がそう語るのは、いわゆる「成功者」の経験談が、才能や努力だけでなく、時代や環境、人との巡り合わせといった「運」の要素に大きく左右される、極めて偏った再現性の低いものだからです。

運が良かっただけの人の話から無理やり教訓を引き出しても、それが自分の未来に役立つ保証はどこにもありません。本当に大事なのは、きらびやかな成功者のメッセージに耳を傾けることではないのです。むしろ、これこそが必要だと成田氏は語ります。

うまくいくか分からない。むしろ、失敗するかもしれない。
それでも、とりあえず一歩を踏み出してしまう「意味不明な勇気」。

私たちの目の前には、まだ誰も試したことのない「未踏の領域」が無限に広がっています。保証もなければ、正解もない。そこに足を踏み入れるための「根拠なき勇気」や「実験する精神」こそが、現状を打破し、新しい価値を生み出す原動力になるのです。

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常識を壊す「実験」のための3つの力

では、どうすればその「実験する精神」を身につけることができるのでしょうか。成田氏は、人類が歴史の中で見出してきた3つのアプローチを提示します。

1. 幼児性:『裸の王様』に学ぶ「無知」の強さ

童話『裸の王様』を思い出してください。王様が裸であることに気づきながらも、周りの大人たちは忖度し、誰も真実を口にしません。その中で、「王様は裸だ!」と叫んだのは、常識や忖度を知らない一人の子どもでした。

これは「バカになれ」「無知であれ」というメッセージです。常識や知識に縛られているからこそ、言えないこと、できないことがあります。あえて子どものように無垢で無知な視点に立つことで、誰もが見過ごしている本質を突くことができるのです。

2. 異国性:アウトサイダーだからこそ持てる視点

これは、よそ者、アウトサイダー、外国人であることによって、その社会の常識やタブーに縛られずに発言できる力です。コミュニティの「内側」にいると当たり前になってしまうことも、外からの視点で見れば奇妙に映ることがあります。

半分属しながらも、半分は外にいる。そんな立ち位置を意識的に取ることで、客観的な批判や新しい提案が可能になります。これは、ただの「ヤジ馬」ではなく、社会に健全な揺さぶりをかける重要なアプローチです。

3. 武士性:内側から世界を変える「自己破壊」の精神

幼児性や異国性が「外からの変化」だとすれば、これは「内からの変化」を促す、最も強力な力です。その象徴が、戦後の財閥解体時に、特権を拒否し自ら解体の道を選んだ渋沢財閥のエピソードです。

彼らはその決断を「ニコニコと没落する」、略して「ニコ没」という言葉で表現しました。これは、自分が築き上げてきた成功や地位、プライドさえも、次の時代のためには破壊すべき対象となりうるという覚悟です。

自分が死んでしまうかもしれない危険を冒してでも、自らを解体し、世の中を次のステージに進める。これこそが、インサイダーが起こせる最も尊い変革の形なのです。

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結論:さあ、ニコニコと没落しよう

ここで、最初の格言に戻りましょう。

「投げられた石にとって、登っていくことが善でもなければ、落ちていくことが悪でもない。」

私たちは皆、世の中に投げられた石のような存在です。上昇しているのか、下降しているのか。成功なのか、失敗なのか。その判断は一義的ではなく、その状態に耐え、意味を見出すことこそが「生きる」ということなのかもしれません。

もしあなたが、何かを成し遂げ、周りから「成功」と見なされる時が来たら、その時こそが最も重要な局面です。その成功にしがみつくのではなく、自らそれを破壊し、「ニコニコと没落する」勇気を持てるかどうか。

プライドや過去の実績を一度手放し、自分自身を解体してみる。すべてを失った時、そこから見える景色はきっと新しいはずです。成田氏は「すべてを失った時のために手打ちそばの修行を始めた」と笑います。

成功を目指すな。むしろ、没落を愛せ。
さあ、あなたも一緒に、ニコニコと没落してみませんか?

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