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【格言】執念深くあれ。偉業は「さっぱり」からは生まれず、揺るがぬ粘りから生まれる。
「さっぱり潔い人」と「執念深い人」、あなたはどちらになりたいですか?多くの人が前者を選ぶかもしれません。しかし、歴史に名を刻む偉業や、深い信頼関係は、実は「執念」から生まれているのです。この記事では、成功と人間的魅力の源泉となる「執念」の本当の価値を解き明かします。
1. 「執念深い」は本当にネガティブか?
「執念深い」と聞くと、どのようなイメージが浮かびますか?
- 断られても、しつこく付きまとうストーカーのような人?
- 過去の恨みを、何十年も根に持つ陰湿な人?
確かに、こうしたネガティブな側面で語られることが多い言葉です。その対義語として「竹を割ったようにさっぱりした人」がいます。こちらは、嫌なことはすぐ忘れ、物事にこだわらない潔い人として、好意的に受け止められることがほとんどでしょう。
しかし、この「さっぱり」という性質にこそ、私たちが本当に大切にすべきものを見失わせる危険が潜んでいるとしたら、どうでしょうか。
2. 「さっぱりした人」に潜む思わぬ弱点
「さっぱりしている」ことの裏返しには、2つのキーワードが隠れています。それは「諦める」「すぐ忘れる」です。この2つが、人生の重要な局面で弱点となり得ます。
弱点①:苦難に直面した時、あっさり諦めてしまう
物事に固執しないのは美徳に見えますが、それは困難な壁にぶつかった時、あまり粘らずに「潔く諦める」という選択につながりやすいことを意味します。人生のパートナーが逆境で簡単に諦めてしまったら?あなたが立ち上げた事業が少しの困難で投げ出されたら?そこに信頼は生まれるでしょうか。
弱点②:受けた恩を、すぐに忘れてしまう
嫌なことをすぐ忘れる長所は、同時に「受けた恩も忘れてしまいがち」という短所と紙一重です。自分が苦しい時に助けてくれた人の存在を忘れ、助けてくれなかった人と同等に扱うのは、果たして誠実な態度と言えるでしょうか。恩を忘れる人は、長期的な信頼を築くことができません。
3. 「執念」の真価:諦めない力と忘れない誠実さ
ここで、「執念深い人」の定義をポジティブに再構築してみましょう。「さっぱりした人」の対義語として捉え直すと、その本質が見えてきます。
「執念深い人」の本当の姿とは:
- 目標達成まで、決して諦めない。
- 受けた恩義を、生涯忘れない。
ジャック・マー氏やマイケル・ジョーダン氏など、歴史的な成功を収めた偉人たちを思い浮かべてみてください。彼らの共通点は、何度失敗しても挑戦し続けた「諦めの悪さ」、つまり「執念」です。さっぱりと諦めていては、偉業など成し遂げられません。
また、ビジネスの世界でも、苦しい時代に支援してくれた取引先を生涯大切にする企業は、強い信頼を得ます。これは、恨みを忘れないのではなく、恩を忘れないという誠実さの証なのです。
4. 結論:信頼されるのは「気骨のある人」
ここまで読んで、「執念深い」という言葉への印象は変わったでしょうか。もし、まだ抵抗があるなら、こう言い換えてみてください。
執念深い人 = 気骨のある人
困難から逃げず、目標に向かって粘り強く努力し続ける。そして、人から受けた恩を忘れず、誠実に応えようとする。そんな「気骨のある人」を、私たちは信頼し、魅力を感じ、共に人生を歩みたいと願うのではないでしょうか。
さっぱりと物事を水に流すのが得意な人になるより、一つのことを粘り強く追い求め、受けた恩を決して忘れない、執念深い人間でありたい。それこそが、人生を豊かにし、真の成功へと導く鍵なのです。
