格言:『教える』という傲慢を手放せ。真の指導は、まず己の無知を知ることから始まる

2025年8月19日オンライン教室レポート

静かな湖面に映る雄大な山々―自己を省み、真の指導を探求する姿勢を象徴する風景
真の指導は、まず自分自身を深く見つめることから始まります。

「指導は善」という危険な思い込み

「指導する」という行為は、一般的に称賛されるべき美徳だと考えられがちです。しかし、その思い込みの裏に、選手の成長を妨げる大きな落とし穴が潜んでいるとしたら…?

良かれと思ってかけたその一言、熱意あふれるそのアドバイスが、実は選手の自主性を奪い、誤った成功体験を植え付け、あなたの「指導者としての自己満足」を満たすためだけのものになっている可能性はないでしょうか。

「自分の浅はかな知識で指導する方が選手のためになるか?」
この記事は、すべての指導者、そしてこれから指導者を目指す方へ、この根源的な問いを投げかけます。

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なぜ、あなたの指導は「毒」になりうるのか?

指導が時に「毒」となる最大の原因は、指導者自身が「自分はバドミントンを(あるいは、その分野を)よく知っている」と誤解してしまうことにあります。この誤解は、知らず知らずのうちに指導者の学びを止め、傲慢さを育てます。

1. 知識のアップデート停止

「教える立場」になった途端、学ぶ姿勢を忘れてしまうケースです。技術も戦術も日々進化しています。数年前の常識が、今では非常識かもしれません。浅はかな知識のまま指導を続ければ、選手に古い情報を刷り込むことになります。

2. 選手の「なぜ?」を封殺

指導者の言葉が絶対的になると、選手は思考停止に陥ります。「なぜこの練習をするのか?」「なぜこの打ち方が良いのか?」と考える機会を奪われ、ただ言われたことをこなすだけのロボットになってしまうのです。

3. 自己満足への道

選手が少しでも上達すると、「自分の指導のおかげだ」と感じ、快感を覚えます。これがエスカレートすると、選手の成長のためではなく、自分の承認欲求を満たすために指導するようになってしまいます。これは指導者にとって最も危険な罠です。

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毒を薬に変える「真の指導者」への道

では、どうすれば「毒」ではなく「薬」となる指導ができるのでしょうか。その鍵は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉「無知の知」にあります。つまり、「自分は何も知らない」ということを知ることから始めるのです。

  • 「教える」から「問いかける」へ:
    答えをすぐに与えるのではなく、「君はどう思う?」「どうすればもっと良くなるかな?」と問いかけ、選手自身に考えさせる習慣をつけましょう。指導者の役割はティーチング(Teaching)からコーチング(Coaching)へ移行します。
  • 選手から学ぶ姿勢:
    若い選手の柔軟な発想や、自分とは違う感覚から学べることは無数にあります。「指導してやっている」という上からの目線を捨て、共に探求するパートナーとしての関係を築きましょう。
  • 常に学び、自分を疑う:
    自分の指導法が本当に正しいのか、常に自問自答し続けることが重要です。最新の理論を学んだり、他分野のコーチング手法に触れたりして、知識と視野を広げ続けましょう。

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結論:教えるのをやめた時、本当の指導が始まる

指導は、決して美徳ではありません。それは選手の一生を左右しかねない、重い責任を伴う行為です。

「指導する」という心地よい響きに酔いしれるのをやめ、己の浅はかさを認め、選手と共に学び続ける覚悟を持つこと。

それこそが、選手の才能を最大限に開花させる「真の指導者」への第一歩です。明日から、あなたの指導現場で「教える」ことを一つ減らし、代わりに「問いかける」ことを一つ増やしてみませんか?そこに、これまで見えなかった新しい景色が広がっているはずです。

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