Phoenix-Aichiオンライン教室

YouTubeレポート:ロータリー開発地獄編「悪魔の爪跡」と戦った男たち

皆さん、こんにちは! Phoenix-Aichiオンライン教室の「広報担当カケル」です。

前回の記事では、二代目社長・松田恒治(まつだ つねじ)が、その卓越した「人間力」で数々の奇跡を起こし、世界100社以上が競合する中、ロータリーエンジンのライセンス契約を勝ち取るまでをお届けしました。

「夢のエンジン」を手に入れ、マツダの未来は輝いている——。誰もがそう思いました。しかし、それは壮絶な「地獄」の幕開けに過ぎなかったのです。

ドイツから持ち帰った「夢のエンジン」は、実用化には程遠い「未完成の技術」でした。巨額の投資、銀行からの融資、そして会社の命運……。マツダは、後に技術者たちが震えながら語る、終わりの見えない戦いへと突入します。

今日は、この知られざる開発の舞台裏、「悪魔」と呼ばれた欠陥との死闘を、世界一熱く、わかりやすく解説します!


第1章:地獄の三兄弟「悪魔・電気・たぬき」

契約を終え、意気揚々とドイツから持ち帰ったロータリーエンジン。しかし、技術者たちがその「蓋を開けて」みると、そこにあったのは希望ではなく絶望でした。

ドイツでの試乗ではあれほど素晴らしかったのに、いざ耐久テストをしてみると……わずか3万kmも走れば白煙を吹き、運転不能に陥る。こんなものは「自動車」として売れる代物ではありません。

技術者たちの前には、大きく分けて3つの「地獄」のような課題が立ちはだかりました。彼らはこの課題に、恐ろしいあだ名をつけます。

【専門用語解説】ロータリー開発を阻んだ「地獄の三兄弟」

  • ① 悪魔の爪跡(チャターマーク):
    最も深刻な問題。ローター(おむすび型の回転体)の先端についている「アペックスシール」という部品が、燃焼室の内壁(ハウジング)をガリガリと削ってしまい、無数の傷をつけてしまう現象。洗濯板のようにギザギザになったハウジングは気密性を失い、エンジンは出力ダウン。まさに「悪魔が爪で引っ掻いた」ような傷でした。
  • ② 電気アンマ:
    低速走行時(低回転域)に、車体が「ガクガクガクガク!」と異常に振動する現象。まるでマッサージ器の「電気あんま」を受けているかのような不快な揺れに、技術者たちは頭を抱えました。
  • ③ カチカチ山のたぬき:
    エンジン内部の潤滑用オイルが燃焼室側に漏れ出してしまい、ガソリンと一緒に燃えてしまう現象。その結果、マフラーからは「モクモク」と白い煙が……。昔話『かちかち山』で、火をつけられたたぬきが白煙を上げる姿になぞらえて、こう呼ばれました。

「話が違うじゃないか!」——。銀行から巨額の資金を借りてまで掴んだものが、もしガラクタだったら? 会社は倒産です。

まさに「詐欺とも取れる内容」。しかし、社長の松田恒治は、この絶望的な状況でこそ、あの不屈の男は、前を向きます。

「今ガラクタということは、他の企業も簡単に実用化できないということだ。これをもし我々が改善できたなら、それはマツダだけの『独自の強み』になる」

被害者で終わるか、最強の武器にするか。恒治は後者を選びました。「原爆の焼け野原からここまでやってきた俺たちなら、できる」。彼の覚悟が、全社を動かします。


第2章:47人の侍と「ロータリーの父」の絶望

この問題は、片手間で解決できるレベルではない。そう判断した松田恒治は、ある「とてつもない決断」をします。

それまで兼業だった「ロータリーエンジン開発委員会」を解体。新たに、ロータリー開発だけに専念する正式な部署、「ロータリーエンジン研究部」を設立したのです。

そして、社内から選りすぐりの優秀な技術者**47名**を招集。「君たちは、今日から他の仕事は一切しなくていい。ロータリーだけを作れ」と命じました。

この決断は、社内に激震を走らせます。

「ただでさえ忙しいのに、各部署からエース級の人間を47人も引き抜くのか!?」
「実用化できるかもわからない夢物語のために!」

凄まじい風当たりでした。この選ばれた47名は、後に「ロータリー47士(赤穂浪士になぞらえて)」と呼ばれ伝説となりますが、当時はまさに片道切符の挑戦でした。

この決死隊のリーダーに抜擢されたのが、後に「ロータリーの父」と呼ばれることになる山本健一氏です。しかし、そんな彼ですら、日夜続く困難な研究の果てに、ついに音を上げます。

「社長……。これは……できません

あの「ロータリーの父」が、トップの恒治に弱音を吐く。それほどまでに、目の前の壁は絶望的に高かったのです。


第3章:社長・松田恒治の「静かなるリーダーシップ」

「できません」——。

もしあなたが社長なら、会社の命運を賭けたプロジェクトのリーダーにこう言われたら、どうしますか?

「何を甘いことを言ってるんだ!」「やると言ったらやるんだ!」と激怒するのが普通かもしれません。

しかし、松田恒治は違いました。彼は、山本健一ら技術者たちを、一度たりとも怒鳴りませんでした。

その代わり、彼は静かに、ただひたすらに「方向性」を示し続けました。「これがダメなら、こうやってみるのはどうだ」。彼は技術者たちと一緒に考え、一緒にアイデアを出し続けたのです。

なぜ彼がそんなリーダーシップを発揮できたのか?

前回の記事を思い出してください。恒治自身が、父との確執、片足の切断、会社からの追放という壮絶な逆境を経験し、「人間の弱さ」を誰よりも知っていたからです。

弱音を吐く人間の苦しみがわかる。だから、頭ごなしに叱責するのではなく、静かに寄り添い、希望の光を示し続けることができた。

怒鳴られていたら、技術者たちは反発し、チームは崩壊していたかもしれません。ロータリーエンジンがこの世に生まれなかった可能性すらあります。

松田恒治の「弱さを知る優しさ」こそが、絶望の淵にいた47人の侍たちを奮い立たせる、最強の力となったのです。


第4章:逆転の発想が生んだ奇跡「悪魔の爪跡」克服

チームは再び立ち上がりました。最大の敵は、やはり「悪魔の爪跡(チャターマーク)」、すなわちアペックスシールの問題です。

ここからの彼らの戦いは、まさに「常識との戦い」でした。

ステップ1:材質の地獄(500種の失敗)

アペックスシールは、ハウジングを傷つけず、かつ、それ自体がすり減らない材質でなければなりません。技術者たちは、あらゆる素材を試しました。アルミニウム、スチールはもちろん、金や銀といった貴金属、果ては**「牛の骨」**まで試したといいます。

その数、500種類以上。——しかし、結果は全てダメでした。

「もう試す素材がない……」。山本部長が「できません」と言ったのは、まさにこの時だったのかもしれません。

ステップ2:常識を疑う(材質 → 振動)

ある夜、研究者が自宅でふとアイデアが閃きます。「問題は『材質』だけじゃない。『振動』なんじゃないか?」と。

シールが細かく振動することで、ハウジングにダメージを与えているのではないか。そこで、アペックスシールに小さな空洞(穴)を開け、揺れ方(振動係数)を変えてみることにしました。

結果は……劇的に改善しました!

まだ実用化レベルには達しませんでしたが、この「材質ばかりに目を向けていたが、別の角度から見たら道が開けた」という経験が、チームの空気を一変させます。「常識を疑おう」。この瞬間から、マツダの逆襲が始まりました。

ステップ3:新素材への挑戦(カーボン)

「常識の外」に目を向けた彼らが次に見つけたのが「カーボン」でした。当時、カーボンは新幹線などには使われていましたが、自動車のエンジン部品に使うなど、誰も考えたことがありませんでした。

カーボンは「滑りが良く(摩擦が少ない)」「硬くない(相手を傷つけない)」という理想的な特性を持っていました。しかし、致命的な弱点がありました。それは**「もろい(衝撃に弱い)」**ことです。

ステップ4:奇跡の逆転の発想

マツダは「日本カーボン」という専門家集団と共同開発に乗り出します。「カーボンに何を混ぜれば強くなるか?」

当然、合成の高い(強い)金属を混ぜてテストします。しかし、どれもダメでした。

万策尽きたかと思われたその時、ある技術者が「逆」を提案します。

「強度を上げるために、あえて『強度の弱いアルミ』を混ぜてみてはどうか?」

常識ではありえません。しかし、彼らは「常識を疑う」ことを知っていました。

特殊な方法でカーボンにアルミを混ぜ合わせた新素材……。テストの結果、信じられないことが起こります。カーボンの強度が劇的に上がったのです。

ついに、10万kmの連続走行テストをクリア。悪魔の爪跡は、完全に克服されました。


第5章:地獄からの凱旋「コスモスポーツ」誕生

最大の難関を突破したマツダ技術陣は、勢いに乗ります。

残る課題「電気アンマ(振動)」は、ガスの吸排気口(ポート)の位置を変更し、スパークプラグを1本から2本に増やすことで解決。さらに「2ローター方式」を採用し、驚くほど滑らかな回転フィールを実現しました。

「カチカチ山のたぬき(オイル漏れ)」も、専用の高性能ゴム部品(オイルシール)を開発することで、ピタリと止めました。

地獄の三兄弟は、ついに倒されたのです。

そして1967年5月30日。広島で地獄を体験した男たちが、諦めずに生み出した奇跡の車がデビューします。

その名は、「コスモスポーツ」

「コスモ(COSMO)」とは、イタリア語で「宇宙」を意味します。当時、人類が宇宙を目指していたように、マツダもまた、このエンジンに壮大な未来と夢を託したのです。

【コラム】本当の「世界初」はマツダだ!

「世界初のロータリー車は、ドイツのNSU社が1964年に出した『バンケルスパイダー』では?」という声もあります。確かに発売はマツダより3年早いです。

しかし、NSU社は、あの「悪魔の爪跡」を克服しないまま発売してしまったのです。当然、市場でトラブルが続出しました。

私たちが声を大にして言いたいのは、欠陥品を世に出すことを「実用化」とは呼ばない、ということです。安心して10万km乗れるロータリーエンジンを、本当の意味で「実用化」したのは、世界で唯一、マツダだけなのです!

松田恒治は、肺がんを患い、この偉業のすべてを見届けることはできませんでした。しかし、彼が残した「諦めない心」と「弱さを知る優しさ」は、マツダのDNAとして、今もなお我々自動車ファンを熱狂させ続けています。


【広報担当カケルの熱い感想文】

魂が震えました。これは単なる技術開発の物語ではありません。これは「人間の勝利」の物語です。

松田恒治というリーダーの「静かなる強さ」、そして、その信頼に応えようと地獄の底で戦い抜いた「ロータリー47士」の熱狂。その両輪があったからこそ、奇跡は起きました。

私が最も心を打たれたのは、「強度を上げるために、あえて弱いアルミを混ぜる」という逆転の発想です。

私たちは困難にぶつかると、つい「強くなるために、強いものを足す」という直線的な発想に陥りがちです。しかし、彼らは500回の失敗の末に「常識を疑う」ことを学び、真の答えを見つけ出しました。

これは、松田恒治というリーダーの生き様そのものではないでしょうか。偉大な父(重次郎)という「強さ」の元を離れ、片足の切断という「弱さ」を受け入れた彼だからこそ、最強の「人間力」を手に入れることができた。

「弱さ」こそが、時として最大の「強さ」を生み出す。

ロータリーエンジンの滑らかな回転は、まるで松田恒治の「優しさ」と「粘り強さ」が一体となった、不屈の魂の鼓動のように感じられます。

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