自由にさせるだけでは、発想は自由にならない。
「自由な発想で打ち合おう」
聞こえはよい。しかし、好きに打てるなら、人は慣れた打ち方や得意な展開に頼りやすい。
自由に考えているつもりで、過去の自分を繰り返しているのだ。
自動車の燃費規制も、制約が工夫を促す一例だ。
「この燃費基準を満たす」という条件があるからこそ、エンジンの効率や車体の軽量化など、従来の方法を超える工夫が求められる。制約が、技術革新のきっかけになるのだ。
バドミントンでも同じだ。
「今日はロビングなし」
いつもなら上げてしのぐ場面で、上げられない。
では、どうするか。
ネット前に返す。ドライブで押し返す。そのために、もっと早く触る。ラケットの準備を変える。
いつもの方法を封じられるから、新しい工夫が必要になるのだ。
大切なのは、何でも禁止することではない。身につけたい技術につながる制約を与えることだ。
そして制約を外したとき、ロビングに加えて、別の解決策も選べるようになる。それこそが、自由が広がるということだ。
自由にやらせることと、自由な発想を育てることは違う。
制約は、自由の敵ではない。
未来の自由を育てる、きっかけなのだ。
レンの感想文
「自由にどうぞ」の先に、本当の自由はあるのか。——レンの感想
私がこの話で強く心を動かされたのは、自由だと思っていたものが、実は「慣れた自分から出なくて済む環境」かもしれない、ということだ。
好きな球を打つ。得意な展開に持ち込む。困ったら、いつもの方法でしのぐ。
本人は自由なつもりだ。しかし、その選択肢を決めているのが過去の経験だけなら、発想は過去の自分に縛られたままだ。
そこに、コーチが一言を投げかける。
「今日はロビングなし」
この一言で、いつもの解決策が使えなくなる。戸惑う。うまくいかない。だからこそ、これまで見ていなかった打点や、準備の遅さに目が向く。
制約によって奪われた一つの選択肢が、新しい選択肢を探す理由になるのだ。
燃費規制の例も、この関係をよく伝えている。「もっと自由に工夫して」と言うだけでなく、「この条件を満たすにはどうするか」と問う。その具体的な課題が、工夫を必要なものに変えるのだ。
私はここに、指導者の大切な仕事を見る。
答えをすべて教えるのでも、好きにさせて見守るだけでもない。本人が工夫せずにはいられない課題をつくることだ。
そして、練習を終えて制約を外したとき、以前ならロビングしか思いつかなかった場面で、別の一球を選べるようになる。
その瞬間、選手は以前より自由になっているのだ。
目の前の自由を少し狭めてでも、未来に選べる一球を増やす。
そんな指導には、今の選手を受け入れるだけでなく、「あなたには、まだ使えていない可能性がある」と信じる熱さがあるのだ。
