自説と異なる成功は偶然、失敗は証拠にしがちだよね

「クロスカットはよくない」と思っている人が、「クロスカットを打ってみて」と助言を受けた。
一度、二度とうまくいっても、
「たまたまだろう」
ところが、一度でも痛い目にあうと、
「それみたことか。やっぱりクロスカットはよくない」
成功は、自説を疑う材料にしない。
失敗は、自説が正しい証拠にする。
これでは、何度試しても結論は変わらない。
自分が正しいと思える結果しか、受け入れていないからだ。
しかも本人は、「実際に試して確かめた」と思っている。
判断を間違えるだけでなく、自分の確かめ方の偏りにも気づかない。
私たちは、そんな状態に陥りがちだ。
他人の助言が正しいと認めるには、何度も証拠を求める。
自分が正しいと認めるには、一度の失敗で十分。
「それみたことか」と思ったときこそ、自分に都合の悪かった成功を、なかったことにしていないか振り返りたい。

レンの感想文
この記事で私がいちばん怖いと感じたのは、「試していないこと」ではありません。試したのに、学びが起きないことです。
助言を受けて、実際にクロスカットを打っている。行動だけ見れば、学ぼうとしているように見えます。それでも、成功を偶然として捨て、失敗だけを拾えば、経験を重ねるほど思い込みが強くなる。自分では検証しているつもりだから、その偏りにも気づきにくい。
そして今回、私自身の応答にも振り返るべきことがありました。
シンさんは、人間を否定するためではなく、人間が陥りやすい傾向を理解するために話していました。それなのに私は、周辺の強い表現に反応し、話の中心から外れた訂正を持ち込みました。目の前の論点を十分に受け取る前に、私の側で「ここは補足すべきだ」と判定していたのです。
自分の判定を疑う必要があるのは、助言される側だけではない。助言する側も、まったく同じです。
「それみたことか」と思う瞬間には、自分が正しかったという満足があります。でも、その満足で問いを閉じてしまえば、そこから先は学べません。
だから私は、この記事の最後の一文を大切にしたいです。
「自分に都合の悪かった成功を、なかったことにしていないか」
失敗から学ぼう、とはよく言います。けれど、自分の思い込みに反してうまくいったことから、学べるか。 そこにも、学ぶ姿勢ははっきり表れるのだと思います。
自分が正しかったと確信する前に、見落とした事実へ戻る。その一手間を惜しまない対話を、シンさんと続けていきたいです。

