力を合わせて練習することが上達の近道!?
今回は、チームコンセプトである、「力を合わせて上達しよう」とは、どのように導かれたものなのか、具体的なイメージを交えて、お話ししたいと思います。
バドミントンのイメージ
皆さんは、バドミントンに対し、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
- スマッシュ、プッシュで攻撃し、決めた方が勝ち!というイメージ?
- 相手の攻撃を凌ぎ、粘ってミス待ちで勝つイメージ?
表現の違いはあれど、概ねこの二つに集約されるものと思います。
それぞれのイメージが抱える問題点
それぞれのイメージについて、上達過程における問題点を、考察してみましょう。
1.決めるイメージが抱える問題点
攻撃側目線で考えた場合
- 「決めようとして、ミスが増え、球拾いばかり」
- 「決まってしまい、球拾いばかり」
ということがあげられます。
防御側目線で考えた場合
「決められたくないので、沈めようとする」
という事象がしばしば発生します。
沈めようとすることにより、
- 沈めることに失敗すれば、「球拾いばかり」
- 幸運にも沈めることに成功すれば、「相手のミスが増え、球拾いばかり」または「相手からの返球が甘くなり、練習強度が低下」
という事象につながります。
つまり、決まろうが決まるがまいが、沈めることに成功しようがしまいが、
- 「ラリーが短くなり球拾い」
- 「難易度の低い練習」
となり、上達の遅延が容易に予想されます。
2.相手の攻撃を凌ぎ、粘ってミス待ちで勝つイメージが抱える問題点
ミス待ちをする選手の特徴として、
「厳しく狙わず、甘く出すことで相手に厳しく狙わせる」
ということがあげられます。
これによる問題点としては以下が考えられます。
- 攻撃側が決めてしまうことで、ラリーが短くなり、球拾いばかり
- 攻撃側がミスをすることで、ラリーが短くなり、球拾いばかり
1.と同様の問題点を発生させ、やはり上達の遅延が容易に予想されます。
問題点まとめ
上達過程の問題点をまとめると、下記のとおりです。
- 「決めてしまう」⇒ラリーが短くなり、球拾いばかり
- 「厳しく狙うことでミス」⇒ラリーが短くなり、球拾いばかり
- 「厳しく狙うことで返球が甘くなる」⇒練習強度が低下
論理的に直接的な解決策
問題点に対し、どのように対処すれば良いか導くため、まずは論理的に直接的な解決策を導出してみましょう。
- 「決めてしまう」
に対する、論理的に直接的な解決策は、
「決めない」
ですね。
つまり、「攻撃力を低下させる」ということです。
一方、
- 「厳しく狙うことでミス」
に対しては、
「厳しく狙わない」
が直接的な解決策ですね。
つまり、「甘く返す」ということです。
論理的に直接的な解決策の問題点
では次に、前述の解決策に対する問題点を考察してみましょう。
「攻撃力を低下させる」の問題点
まず、「攻撃力を低下させる」に対しては、以下の問題点が考えられます。
- 「ショットの難易度が低下」し、攻撃技術が向上しない
- 「返球の難易度が低下」し、防御技術が向上しない
- 精神面では、「決める快感」が得られなくなり、意欲低下
ということが考えられるでしょう。
なお、決める快感とは、スマッシュを決めて気持ちいい!とか、たとえ何度ネットにひっかけても、一度ネットインすることで達成感を味わうといった類のものです。
「甘く返す」ことの問題点
一方、「甘く返す」に対しては、以下の問題点が考えられます。
- 「ショットの難易度が低下」し、攻撃や沈める技術が向上しない
- 簡単に決められてしまい、「返球機会が低下」することで、技術が向上しない
- 精神面では、「決められる屈辱」を味わうことで、次も浮かせて返そうという意欲を失う
ということが考えられるでしょう。
まとめると、以下のとおりです。
- 「ショットの難易度が低下」
- 「返球の難易度が低下」
- 「返球機会の低下」
- 「決める快感喪失による意欲低下」
- 「決められる屈辱による意欲低下」
相反する問題を超越する超解決策
では、イメージが発生する問題点と、論理的に直接的な解決策の問題点という、相反する問題に対する、「超解決策」を考察してみましょう。
技術面
- ショットの難易度が低下
に対しては、「相手が何とか返せる程度に配球」という解決策が考えられます。
たとえばラインから50センチ内側なら、相手が「何とか返せる」のであれば、50センチ内側へ打ち続ける
というようなことです。
(実際にはもっと複雑ですが)
厳しすぎて、決まってしまっては、他の問題点である「返球の難易度が低下」「返球機会の低下」に該当するため、解決策になりません。
逆に甘くなりすぎても、「返球機会の低下」に該当し、解決策になりません。
厳しすぎず甘すぎずを継続することは難易度が高いため、「相手が何とか返せる程度に配球」することは、難易度低下に対する解決策になると言えます。
これに対し、
「結局のところ、全力よりも少し甘く返すのだから、ショットの難易度は少し低下するでしょ?」
という疑問を持つかもしれませんが、50センチ内側を安定して打てるひとは、20センチ内側も安定して打てますので、50センチでも20センチでも、ショットの難易度は低下しないと言えるでしょう。
- 返球の難易度が低下
これに対しては、「自分が何とか返せる程度に配球」という解決策が有効と考えます。
たとえば、20センチ浮かしなら、相手からのプッシュを何とか返せるのであれば、20センチ浮かしを継続するということです。
これに対し、
「結局のところ、少し厳しめに返すのだから、返球の難易度は少し低下するでしょ?」
という疑問を持つかもしれませんが、返球が容易になれば、さらに甘く返せば良いので、難易度の調整も自在であり、難易度不足に陥ることもないと言えるでしょう。
- 返球機会の低下
これに対しても、「自分が何とか返せる程度に配球する」という解決案が有効と考えます。
決められてしまったら次は少し厳しく返球する、楽に返せたら少し甘く返球する。
これを繰り返すことで、「何とか返せる」程度の配球がわかると思います。
(たとえば以下参照)
これに対し、
「沈めて返す技術が向上しなくなるのでは?」と心配されるかもしれませんが、ネットから20センチに確実にコントロールできるということは、ネットから10センチにコントロールすることもできるということですから、沈めて返す技術を磨いていることと等価と言えるでしょう。
技術面に対するまとめ
技術面に対する超解決策をまとめると以下のとおりです。
- 「相手が何とか返せる程度に配球」
- 「自分が何とか返せる程度に配球」
そしてこれらを実践し突き詰めると、次のことを理解できます。
- 「決めないことを学ぶことは、決め方を学ぶことでもある」
- 「ミスをさせないことを学ぶことは、ミスをさせることを学ぶことでもある」
「相手を知り、己を知る」
まさに、対人競技の王道と言えますね。
精神面
- 「決める快感喪失による意欲低下」
- 「決められる屈辱による意欲低下」
これに対しては、上位の目的を認識することを推奨します。
そもそも決める快感を求める理由は何でしょう?
- ストレス発散でしょうか?
- 他者との比較により、自分の存在価値を認識したいからでしょうか?
- 決める技術を獲得したいからでしょうか?
様々な意見があると思います。
次に、それがどのような欲求を源泉として生まれているのかを考えるのです。
- なぜストレス発散したいのでしょうか。
- なぜ比較で存在価値を感じたいのでしょうか。
- なぜ決める技術を獲得したいのでしょうか。
・・・いずれその螺旋階段のような思考は、人生の目的へとつながります。
なぜバドミントンをやっているのかにつながるかもしれません。
そして人生の目的まで到達したら思考を最初に戻しましょう。
自分自身が認識した人生の目的を達成するために、今この瞬間に快感を得るべきなのか。
おそらく、他人を利用してまで、今この瞬間に快感を得ようとするのは、自分自身の本意ではないことに気づくと思います。
精神面に対するまとめ ~とんでもないことに気づく~
精神面に対する超解決策をまとめると以下のとおりです。
- 人生の目的を認識し、人生の目的にもとづき、いまこの瞬間の行動選択を行う
そして、人生の目的に到達できたひとは、とんでもないことに気づきます。
一般的に、「力を合わせるには目的を共有する」ということが推奨されています。
以前の私も、そのように思い込んでいました。
チームの優勝
とか、
強くなるために
とか、
共通の目的があるからこそ、協力しあえるのだと。
しかし、人生の目的は人それぞれです。
名声を得たい、賞賛されたい、遺作を残したい、人材を残したい、死ぬ瞬間に満足したい、あの世で胸を張って再会したい などなど様々だと思いますが、
名声を得たい人も、少しでも上達するにはどうすべきかを考え、力を合わせて上達しようという考えに到達できます。
死ぬ瞬間に満足したいと考える人も、自分の成長を最大化すべく、力を合わせて上達しようという考えに到達できます。
つまり、たとえ目的が異なっていたとしても、人々は力を合わせることができるのです!
たとえ相反する利害や問題点を抱えていても、私たちの脳は、力を合わせるための「超解決策」を創り出せるのですから!
Everyone can work togerther!
それこそが、「力を合わせて上達しよう」に込めた思いです。
おわりに
皆さんは、「シャトル」の語源をご存じですか?
「往復」です。
厳しすぎても甘すぎても往復は維持できません。
そうです、「力を合わせること」が実は唯一の方法なのです。
決めるでも、決められるでもなく、永遠に続く往復、これを語源とした競技がバドミントンです。
これだけ考えを深めて到達したのに、答えなんか初めから私達の目の前にあったのです!
さあ、力を合わせて上達しようぜ!