2025年9月30日オンライン教室レポート
「背中を見て育て」という言葉に潜む危険な罠
かつて、多くの現場で美徳とされてきた「背中を見て育て」という指導法。寡黙な指導者が黙々と手本を示し、選手がその姿から何かを学び取る―。一見すると、自律性を促す理想的な育成スタイルに思えるかもしれません。
しかし、私たちPHOENIX愛知は、この考え方に警鐘を鳴らします。
「背中を見て育て」とは、指導能力の不足を隠し、育たなかった場合の責任を選手に押し付け、逆に育った場合にはその称賛を搾取しようとする、指導者にとって都合の良い言葉に過ぎないのです。
この言葉に頼ることは、選手の可能性を運任せにするだけでなく、指導者自身の成長をも止めてしまう、非常に危険な罠であると私たちは考えています。
指導の放棄が生む「3つの損失」とは?
「背中」だけの指導が、具体的にどのような損失を生むのか。私たちは主に3つの問題点があると考えています。
1. 選手の損失:成長の機会を奪う
指導者の行動や意図は、言葉にしなければ100%伝わりません。「なぜその練習をするのか」「今のプレーのどこが良くて、どこを改善すべきか」を具体的に言語化してこそ、選手は再現性のある学びを得られます。背中だけでは、選手は推測で動くしかなく、迷い、時間を浪費し、最悪の場合は間違った解釈で成長の道を閉ざしてしまいます。
2. 指導者の損失:自己成長の停止
「選手が育てば自分の手柄、育たなければ選手のせい」。この他責思考は、指導者自身の成長を完全に停止させます。なぜ自分の指導が伝わらなかったのか、どうすればもっと効果的に導けるのか、という内省と改善のサイクルが失われるからです。結果として、指導者は何年経っても同じ「背中」を見せ続けることになります。
3. チームの損失:信頼関係の崩壊
コミュニケーションを欠いた関係は、不信感を生みます。選手は「指導者は自分を見てくれていない」と感じ、指導者は「なぜ選手は理解できないんだ」と苛立ちます。これでは強固な信頼関係は築けません。対話なきチームは、困難な状況で簡単に崩れてしまう脆い組織となるのです。
PHOENIX愛知が実践する「共に育つ」指導法
では、私たちはどうすべきなのか。PHOENIX愛知が大切にしているのは、指導者と選手が対等なパートナーとして「共に育つ」という思想です。
✔︎ 徹底した言語化:「なんとなく」「感覚で」を排除し、すべての指導に論理的な根拠と言葉を与えます。なぜなら、言葉こそが思考を整理し、再現性を生むからです。
✔︎ 双方向の対話:指導者が一方的に教えるのではなく、選手からの質問や意見を歓迎します。選手の「なぜ?」は、指導者にとっても新たな気づきの宝庫です。
✔︎ 責任の共有:結果に対する責任は、指導者と選手が共に負います。成功はチーム全体の成果であり、失敗は次への改善点です。ここに「選手のせい」という逃げ道はありません。
私たちの役割は、選手の前に立ちはだかる「壁」になることではありません。選手の隣を歩き、時に後ろから支え、未来への道を照らす「道標」となることです。
結論:言葉で道を照らし、選手と共に歩む指導者へ
その背中は、選手にとって明確な道標ですか?
それとも、越えられないただの壁ですか?
指導とは、自分の背中を追いかけさせることではありません。選手のポテンシャルを信じ、言葉と対話によって彼らが自らの足で未来へ歩むための道を照らし、サポートすることです。
指導者自身が学び続け、変化を恐れず、選手一人ひとりと真摯に向き合う。その姿勢こそが、誰かの背中を眺めるよりも遥かに雄弁に、選手の心を動かし、本物の成長へと導くのです。
