プレミアム書籍レポート

日本の流通巨人を創った、伝説のCHRO・小嶋千鶴子の教え――『イオンを創った女』から学ぶ「変革と人材育成」の極意

投稿日: 2026年7月7日 | 著者: Phoenix-Aichiオンライン教室 広報担当・如月
皆様、こんにちは!Phoenix-Aichiオンライン教室の広報担当・如月(きさらぎ)です。日々の学びや仕事において、「いかにして組織を成長させるか」「変化の激しい時代にどう自分を適応させていくか」という壁にぶつかることはありませんか?今回は、そんなすべてのビジネスパーソンと、未来を担う学生の皆様に、魂を揺さぶる一冊の「書籍レポート」をお届けします。私たちが普段何気なく利用している日本屈指の巨大流通グループ「イオン」。その驚異的な成長の裏には、歴史に埋もれさせてはならない一人の偉大な女性の存在がありました。彼女の驚くべき人事・経営哲学を、限界までわかりやすく、圧倒的なボリュームで徹底解説いたします!

私たちは、大規模な商業施設や24時間営業のスーパーマーケット、そして洗練されたショッピングモールとしての「イオン(AEON)」をよく知っています。しかし、その前身である三重県四日市市の小さな呉服屋「岡田屋」が、いかにして現在の日本一の巨大流通グループへと変貌を遂げたのか、その詳細なプロセスを知る人は少ないかもしれません。

イオングループの象徴といえば、岡田卓也名誉会長の名前が真っ先に挙がります。しかし、その岡田卓也氏自身が「姉、千鶴子がいたからこそ、現在のイオンの繁栄があることは間違いありません」と断言する人物こそが、本書の主人公である小嶋千鶴子(こじまちづこ)氏です。

彼女は、戦後日本の激動期において、まだ世の中に「経営人事」や「戦略人事」という言葉すら存在しなかった半世紀前に、今日でいうCHRO(最高人事責任者)としての役割を完璧に確立していました。家業という名の小さな商店を、近代的な「企業」へと脱皮させ、さらには日本の主要な「産業」へと育て上げた彼女の手腕は、まさに「人事・組織専門経営者のレジェンド」と呼ぶにふさわしいものです。

本書の基本情報

書名 イオンを創った女 評伝 小嶋千鶴子
著者 東海友和
出版社 プレジデント社
刊行日 2018年11月4日
ページ数 224ページ

第1章:23歳での覚悟――激動の半生とイオングループの揺籃期

小嶋千鶴子氏の人生は、決して平坦なものではありませんでした。むしろ、若くして想像を絶するような過酷な運命に直面し、それを自らの知性と負けん気の強さで切り拓いてきた歴史そのものです。

千鶴子氏は1916年(大正5年)、三重県四日市市にある岡田呉服店の次女として生を受けました。その約10年後、のちにイオングループ名誉会長となる長男の卓也氏が誕生します。しかし、岡田屋はここから大きな試練に見舞われることになります。

千鶴子氏がわずか1歳のとき、実父が急逝。母親が大黒柱として店を支えることになりましたが、その母親も千鶴子氏が20歳のときにこの世を去ってしまいます。さらに、母の代わりに店を必死に仕切っていた長女までもが続けて亡くなるという、連続した悲劇が岡田家を襲いました。

親代わり、そして経営のトップとしての重責が、当時わずか23歳だった千鶴子氏の肩に突如として重くのしかかったのです。彼女は株式会社岡田呉服店の代表取締役に就任せざるを得なくなりました。

【専門用語解説】株式会社岡田呉服店
現在のイオングループの原点となった、三重県四日市市に存在した呉服店。江戸時代から続く伝統的な商いを行っていましたが、千鶴子氏と卓也氏の代において、近代的なチェーンストア・小売業へと大転換を果たすことになります。

驚くべきは、当時の彼女の決断です。千鶴子氏にはすでに婚約者がいましたが、「10歳年下の長男・卓也を一人前の経営者に育てるまでは、絶対に結婚を延期する」という固い決意を固めたのです。家族と会社の両方を一身に背負い、戦前・戦時中という未曾有の激動期の中で、何が会社の障害であり、何を改革すべきかを冷徹に見極めていきました。彼女のこの異常なまでの向学心の高さと負けん気の強さが、のちの巨大グループの頑強な基盤となったことは言うまでもありません。

■ 弟へのバトンタッチと、一時的な引退

千鶴子氏の献身的な支えにより、弟の卓也氏は早稲田大学を無事に卒業。1948年、卓也氏が岡田屋の代表取締役に就任しました。これでようやく自分の役目を一区切り終えたと考えた千鶴子氏は、その2年後の1950年に自らも結婚し、「岡田千鶴子」から「小嶋千鶴子」となりました。

結婚を機に、彼女は一度岡田屋の経営から完全に身を引きます。そして大阪市住吉区へと移住し、かねてからの永年の夢であった「本屋」を開店しました。女性店主としての彼女の細やかな気配りと経営センスは、瞬く間に界隈で大きな評判を呼んだと言われています。

しかし、運命は再び彼女をビジネスの最前線へと引き戻します。1959年、岡田屋は津市の中央への進出や、近鉄四日市駅前への百貨店オープンなど、急激な事業拡大と激しい競争の渦中にありました。弟・卓也氏の描く「小売業のチェーン化」という壮大なビジョンを実現するためには、どうしても彼女の持つ天才的な管理能力と組織統率力が必要だったのです。こうして千鶴子氏は、再び四日市の地へと戻り、岡田屋の経営に復帰することとなりました。

第2章:半世紀前に「戦略人事(CHRO)」を確立した先駆者

復帰した千鶴子氏が任されたのは、人事部門をはじめとする管理部門の総責任者というポジションでした。卓也氏が「攻め」の店舗展開を行うのであれば、千鶴子氏は「守り」であり、かつ最強の推進力となる「人」の基盤を構築する役割です。

【専門用語解説】CHRO(最高人事責任者) / 戦略人事
CHROとはChief Human Resources Officerの略。単なる労務管理や採用手続きを行う人事部長とは異なり、経営戦略と人財戦略を完全に連動させ、企業の持続的成長を人財面からデザインする責任者を指します。これを実行することを「戦略人事」と呼び、現代のコーポレートガバナンスにおいて最重要視されている概念の一つです。

千鶴子氏の人事政策は、現代の目で見ても信じられないほど先進的でした。彼女が実行した矢継ぎ早の施策を、順序立てて整理してみましょう。

1. 圧倒的な人材確保への奔走と新卒定期採用

小売業のチェーン化(店舗数を増やすこと)を進める上で、最大のボトルネックは「人の不足」です。千鶴子氏は自ら全国の学校を泥臭くまわり、優秀な人材の確保に奔走しました。当時としては極めて珍しかった「大卒者の定期採用」を本格化させ、会社の知的水準を爆発的に引き上げました。

2. 女性社員の戦力化とパートタイマーの積極雇用

昭和の時代、女性は結婚したら退職するというのが一般的な社会通念でした。しかし千鶴子氏は、小売業の本質を支えるのは女性の視点であると見抜き、女性社員の戦力化に注力しました。また、短時間労働者であるパートタイマーを積極的に雇用し、彼らが誇りを持って働ける環境を整備したのです。

3. 躾(しつけ)と教養を重視した独自の社員教育

彼女は単にビジネスの知識を教えるだけでなく、人間としての「躾」を重んじました。特に、日曜日や祝日に休むことができない女性社員のために、なんと終業後に会社負担で「お茶(茶道)」や「お花(華道)」を習わせるという試みを行いました。

「嫁をもらうならオカダヤさんの店員をもらえ」

この教育が功を奏し、地域社会でこのような絶大な評判が立つようになります。結果として、地元の名門高校の進路指導部から「トップクラスの優秀な生徒」が次々と推薦されるという、素晴らしい採用の好循環が生まれたのです。

4. 企業内大学の設立――「知識」を「産業」に変える仕組み

千鶴子氏の功績の中で最も革新的だったのが、日本初の小売業における企業内大学の設立です。

  • 1964年:OMC(オカダヤ・マネジメント・カレッジ)の発足
    高卒の男子社員を対象に、人間形成のための教養課程と、経営学を中心とした高度なカリキュラムを提供しました。
  • 1969年:ジャスコ大学の設立
    後述する大合併により誕生した「ジャスコ(JUSCO)」において、人事制度の最大の柱として機能させました。
  • 1976年:ジャスコ大学大学院の創立
    東証・大証・名証の各市場第二部に上場を果たしたこの年、上位職(トップマネジメント)を育成するために設立。単なる座学ではなく、現代のMBAでも主流となっているケースメソッドビジネスゲームといった体験学習を半世紀前に導入していたというから驚きです。
【専門用語解説】ケースメソッド / ビジネスゲーム
  • ケースメソッド:実際に起きた企業の経営課題(事例)を教材とし、自分が経営者ならどう決断するかを徹底的に議論させる実践的な教育手法。
  • ビジネスゲーム:市場環境を模したシミュレーションの中で、チームごとに経営戦略を立てて業績を競い合い、経営の本質を体得する体験型学習。

千鶴子氏はこれら数々の先進的な人事施策をやり遂げ、役員の定年である60歳(1977年)を迎えると、一切の未練を残すことなく、あっさりと役員を退任しました。引き際の見事さまでもが、一流の経営者そのものでした。

第3章:現場は宝の山――魔法の言葉「問題あらへんか?」の深意

小嶋千鶴子氏の経営哲学の根底にあるのは、徹底した「現場主義」です。彼女は頻繁に店舗を巡回し、パートタイマーから若手社員、店長に至るまで、目が合うと必ず次のような言葉をかけました。

「問題あらへんか?」

この、一見何気ない三重弁のひと言には、千鶴子氏の緻密な計算と、従業員に対する深い愛情が込められていました。本書によると、彼女がこの質問を投げかけるのには3つの明確な目的があったと分析されています。

目的の柱 千鶴子氏が本当に知りたかったこと・意図
1. 問題意識の測定 その従業員が、自分の現場に対してどの程度の関心や危機感を持っているかを探る。
2. 従業員の状況把握 体調やメンタル、業務過多になっていないかなど、本人のリアルな状態を知る。
3. 当事者意識の醸成 質問されることで、「自分自身の仕事」として主体的に考えるスイッチを入れさせる。

もし、質問された従業員が反射的に「特に問題ありません!」と答えてしまったらどうなるでしょうか。千鶴子氏にとって、その答えは「私は現場に対する問題意識が極めて低いです」と告白しているのと同じでした。

「問題ない」と答えた瞬間、彼女の鋭い質問攻めが始まります。「お客様からの苦情は?」「商品の品切れはないか?」「上司や部下との関係は?」と、次々に核心を突き、本質的な問題が「その従業員個人のスキル不足」なのか、「部門の構造的欠陥」なのか、あるいは「全社的なシステムの不備」なのかを瞬時に特定していきました。

そして本社に戻ると、すぐに担当役員や部長を呼び出します。「岡崎店でこういう事象があったが、知っているか?」と問いただすのです。例えば、ある売り場の従業員に十分な商品知識がないと分かれば、すぐに能力開発部長を呼び、マニュアルの点検を命じました。

「この部門の〇年次の社員には、どんな教育をしているのか?」と確認し、原因が「カリキュラムの不足」なのか「本人の勉強不足」なのかを厳密に特定した上で、即座に対策を講じたのです。

■ 圧倒的な人間愛とプライベートへの配慮

この「問題あらへんか?」という問いには、もう一つの重要な側面がありました。それは、「従業員が私生活の悩みのせいで、仕事に集中できない状況に陥っていないか」を確認することです。

本書の著者である東海氏が体験した、忘れられないエピソードがあります。ある日、千鶴子氏は著者に「岡崎店のAさんの個人ファイルを持ってきてください」と言いつけました。履歴書や自己申告書に丁寧に目を通した千鶴子氏は、Aさんの奥様が大きな病気を患っており、治療を続けているもののなかなか改善せず、良い医師を探して困窮しているという記述を見つけ出します。

書類から目を上げた千鶴子氏は、その場で即座にジャスコ健康保険組合の嘱託医に電話をかけ、病気に関する徹底的な情報収集を行いました。それだけにとどまらず、自らの人脈を駆使して専門医や有名な病院を紹介し、さらに懇意にしている大学病院の教授にまで直接連絡をして、その道の権威を紹介したのです。

これは決して特別な贔屓(ひいき)ではなく、彼女にとっては日常茶飯事の行動でした。子育て、介護、家族の病気など、個人の力だけではどうにも解決できない悩みに直面したとき、会社のトップとして親身になり、実質的な手を差し伸べる。これこそが、従業員が会社を信頼し、一丸となって変革に挑むための「心理的安全性」の正体だったのです。

第4章:次世代へつなぐ人事・経営哲学「人事政策覚書」を読む

小嶋千鶴子氏は1980年、これからのグループを担う人事担当者に向けて、自らの哲学を凝縮した「人事政策覚書」を作成しました。その中で語られている内容は、現代の「人的資本経営」のバイブルとも言える、極めて本質的なメッセージに満ち溢れています。

① 企業の「発展力」を確保せよ

千鶴子氏は、人事政策を策定する上で最も重要視すべきは「企業の発展力の確保」であると断言します。企業が成長し、発展し続けているからこそ、働く人々は「自分の能力を発揮すれば、未来に希望が持てる」という確信を抱くことができます。

希望さえあれば、日々の多少の不満や摩擦は自己解決され、全員が未来を向いて進むことができます。この「よき風土」を維持し、浸透させることこそが人事の最大の使命です。逆に、この風土が崩れれば、業績は下がり、組織内には不平不満という名の毒素が充満していくことになります。

「変革を予見し、許容し、積極的に変革に対応する人間集団をつくること」

これこそが、千鶴子氏がバラバラの会社を合併させながら、巨大グループへと昇華させていく中で導き出した、組織作りの究極の要諦でした。

② トップとスタッフのあるべき関係性

優れたリーダー(トップ)の条件として、彼女は「優秀なスタッフ(補佐役)を周囲に持っていること」を挙げます。そして、そのスタッフたちには専門性だけでなく、集団としての高い統制力が求められます。

ここで千鶴子氏は、人事が最も注意すべき危険人物として「虚構性の高い人物」を挙げています。いくら能力が優秀に見えても、自己顕示欲が強く、言葉の中に嘘や誇大表現が多い「虚構性の高い人間」は、最終的に集団の団結力を分裂させ、組織を破壊してしまうため、絶対に要職につけてはならないと厳しく戒めています。

また、事業のトップに据えるべき人材のバランスについても、極めて興味深い数式のようなバランス感覚を提示しています。

理想のリーダーシップ構造 = 【大胆かつ細心】 + 【用心深いトップ】 + 【明るい周辺人材】

用心深さ(リスク管理能力)がない人間や、組織への甘えが多い人間に長を任せるのは非常に危険です。トップに立つ要の人物はどこまでも用心深く慎重であり、その周囲を固めるスタッフたちが明るく前向きである組織こそが、最も強いと彼女は説きました。

③ 社外スタッフ(外部知見)の3つの活用法

激しい環境変化に適応し続けるため、千鶴子氏は身内だけの知見に固執せず、絶えず「社外スタッフ」を選定し、活用することを推奨しました。彼女はその役割を以下の3つの分類に分けて定義しています。

【社外スタッフの3大分類】
  1. トップの哲学的背骨のための人材:経営者の思想や倫理観を研ぎ澄ますためのアドバイザー。
  2. 理論武装用人材:企業の戦略や政策を、学問的・論理的に裏付けるための専門家。
  3. 新技術導入用人材:新しいシステムや技術をスムーズに組織へ組み込むための技術者。

特に「(2) 理論武装用」と「(3) 新技術導入用」の人材は、企業の革新政策や将来の戦略に直結するため、長期的かつ根本的な影響への徹底的な配慮と分析が欠かせないと述べています。

第5章:人生100年時代を生き抜く「人生哲学」

小嶋千鶴子氏の凄みは、ビジネスの場における経営手腕だけにとどまりません。彼女自身の「生き方」そのものが、私たちにとって究極のロールモデルとなっています。

千鶴子氏はなんと102歳という天寿を全うされました。彼女は晩年、かつての部下や元従業員たちが会いに来ると、しばしば笑顔でこのような質問を投げかけたそうです。

「あんた、私の歳まで生きたとしたらどうするの? これからのほうが長いんやから」

この問いかけは、相手に対して徹底的なセルフマネジメント(自己管理能力)を促すものでした。定年を迎えたからといって、そこで人生が終わるわけではない。むしろそこからの人生のほうが長いかもしれないのだから、甘えることなく人生設計をせよ、という愛の鞭です。

【専門用語解説】セルフマネジメント
自身の心身の健康、キャリア、時間の使い方、経済的な基盤などを、他人に依存することなく、自らの意志と計画によって律し、コントロールする能力のこと。

千鶴子氏自身、自分の健康管理には人一倍の努力を払っていました。食生活を徹底的に正し、定期的な健康診断は義務として必ず受ける。彼女の哲学において、「健康管理ができていない人間は、自分自身のマネジメントすらできていない証拠である」とみなされました。そのため、自己管理が不十分で体調を崩しがちな社員に対しては非常に厳しい評価を下し、決して組織の責任あるポスト(要職)につけることはありませんでした。

また、「私の歳まで生きたらどうするの?」という質問には、「リタイア後の生活費(経済的基盤)を若い内からどう確保するか」という極めて現実的な問いも含まれていました。国や会社の年金収入だけに依存していては、これほど長い人生を誇り高く生き抜くことはできないという、冷徹な現実主義がここにも現れています。

■ 定年後の美しきライフデザイン

千鶴子氏自身は、60歳で役員を退任した後、まさに自分の人生設計通りに「趣味の人生」を完璧に謳歌しました。愛する夫と平穏で穏やかな時間を過ごすとともに、陶芸三昧の日々を送ったと言われています。

単なる趣味の枠を超え、私設の美術館を自ら開館したり、自分が才能を認めたお気に入りの作家たちの企画展をプロデュースしたりもしました。

まさに現代で言う「人生100年時代」を、彼女は半世紀以上前から予測し、体現していたのです。若い内から自らの人生をデザインし、準備をしておくことの重要性を、彼女の美しい引き際と豊かな晩年が何よりも雄弁に物語っています。

世界一の読解力を持つ広報担当による、魂の熱い感想文

本書『イオンを創った女』を最初から最後まで、一文字一文字に込められた血と汗と涙の歴史を噛み締めながら読み解いたとき、私の胸には、これまでに味わったことのないような激しい感動と、一筋の冷徹な衝撃が走り抜けました。

小嶋千鶴子という女性の生き様は、単なる「昔の成功した経営者の美談」などでは断じてありません。彼女の本質は、「時代を完全に超越した、究極のリアリストであり、かつ狂気的なまでの人間愛に満ちた組織の彫刻家」です。

考えてもみてください。23歳という、現代であれば大学を卒業したばかりの世間知らずの若者が、親を亡くし、家業の命運と10歳年下の弟の未来をすべて背負わされたのです。その絶望的な重圧の中で、彼女は泣き言を言うどころか、「卓也を大学に入れるまでは結婚しない」と自らの幸せを後回しにし、激動の戦中戦後を生き抜いた。この驚異的な「覚悟の量」に、まず私たちは圧倒されます。

そして、彼女が構築した人事制度の数々。大卒の定期採用、女性の戦力化、企業内大学(OMC)の設立……。これらを1960年代という、日本全体がまだ「男尊女卑」や「年功序列」「終身雇用」のぬるま湯に浸かっていた時代に、すべて独力で考案し、実行していたという事実に、私は鳥肌が立つほどの戦慄を覚えました。現代のビジネス界では「人的資本経営」や「CHROの重要性」がまるで新しいトレンドのように騒がれていますが、千鶴子氏は半世紀以上前に、その本質をすべて看破し、実戦で完璧に機能させていたのです!

私が最も魂を揺さぶられたのは、やはり「問題あらへんか?」という現場への問いかけです。多くの経営者が「現場が大事だ」と口先だけで言いながら、本社ビルの一等席から降りてこない中、彼女は泥臭く店舗を這いずり回り、一人ひとりの目を見て、その心の奥底にある小さな歪みやSOSを見つけ出していました。Aさんの奥様の病気を知り、大学病院の権威まで動かしたあの一件は、単なる「福利厚生」を超えた、生命に対する圧倒的なリスペクトと責任感の現れです。これほどまでに自分たちを全人格的に見てくれている上司のためなら、従業員が「この会社のために、どんな変化も恐れずに戦おう」と奮起するのは当然ではないでしょうか。

さらに、彼女の「人生哲学」は、2026年を生きる私たちに対して、鋭いナイフのように突き刺さります。「私の歳まで生きたらどうするの?」という102歳の彼女からの問いは、国や会社といった「既存のシステム」に甘え、思考停止している現代人への強烈な一撃です。健康管理を怠る者を重職につけないという冷徹な人事評価も、一見厳しすぎるように見えますが、「自分をコントロールできない人間に、他人の人生や会社の未来をコントロールする資格はない」という、冷徹かつ至極真っ当な真理を突いています。

AIが台頭し、あらゆるものが自動化・効率化されていく不確実な現代において、私たちが本当に学ぶべきは、彼女の持っていた「変革を予見し、それを許容し、自らを楽しんで適応させていく人間集団を作る」という、泥臭くも崇高な意志です。小嶋千鶴子氏が遺した思想のバトンを今こそ受け取り、私たちも自らの人生の、そして組織の「最高人事責任者」として、誇り高く一歩を踏み出そうではありませんか!

執筆担当:広報担当・如月(きさらぎ)

Phoenix-Aichiオンライン教室の広報およびコンテンツマネジメントを担当。「複雑なビジネスモデルや歴史を、誰が読んでも一瞬で理解できるエンターテインメントに昇華する」をモットーに、日々発信を続けています。

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