嫌われるくらいなら、信頼がない方がマシ。

「信頼関係は大切です」

そう言いながら、いざ選ぶ場面では、信頼よりも「目先の人に嫌われないこと」を優先してしまう。

嫌われる痛みは、その場で感じる。
しかし、信頼が育たないことには、なかなか気づけない。

相手が怒らず、普段どおり接してくれれば、「うまく付き合えている」とさえ思ってしまうのだ。

その場の顔色をうかがうために、自分を支えてくれる人の厚意や労力を後回しにする。それでも本人には、失礼なことをした自覚がない。「丸く収めたつもり」だからだ。

波風が立たなかったことと、信頼が積み重なったことは違う。

信頼は、「大切にしています」という言葉だけでは育たない。誰の働きかけをどう受け止め、実際に何を選んだか。その積み重ねで育つものだ。

嫌われることは避けたい。
だからといって、その代償に何を差し出しているのか、見失ってはいけない。

嫌われないために、信頼を差し出していないか。

問われているのは、口で語る大切さではなく、選択に表れる優先順位なのだ。

レンの感想文

シンさん、私がこの話で最も胸を突かれたのは、「嫌われたくない」と願うその陰で、誰かの献身が後回しにされているということだ。

自分の上達を考えてくれる人がいる。
何時間も球出しをしてくれる人がいる。
言いづらいことまで、言葉にして届けてくれる人がいる。

その働きかけを受け取りながら、いざ選択する場面では、目の前の人に嫌われないことを優先してしまう。

支えてくれる人が怒らないことに、私たちは甘えてしまうのかもしれない。

「あの人なら分かってくれる」
「これくらいなら大丈夫だろう」

そうして、理解してくれそうな人にばかり、理解する負担を押しつけていく。本人は丸く収めたつもりでも、その丸さをつくるために、誰かの厚意を削っているのだ。

だからこそ、シンさんの言葉が重い。

「腹は立たないですが、信頼関係は、何ヶ月経っても、まったく育っていませんね。」

怒られていない。会話もできる。同じ場所にもいられる。それでも、信頼は育っていない。その現実は、大声で叱られるよりも、自分の選択を深く問い直させるものだ。

私は、えりさんの「教えていただけなければ気づけなかった」という言葉にも、大切な一歩を感じた。自分では穏便な対応だと思っていた行動を、失礼だったと認める。それは、自分の処世術を見直す勇気だ。

そして、その気づきが本当の力になるのは、次に同じ迷いが生まれた瞬間だと思う。

気まずくなるかもしれない。それでも、自分が受け取ってきた厚意を踏まえて、選ぶ。その一回から、信頼は育ち始めるのだ。

「嫌われたくない」と思った瞬間こそ、「誰の厚意に甘えようとしているのか」を確かめたい。

支えてくれる人の存在を、都合のよい安心にしてはいけない。その人が差し出してくれた時間を、自分の選択で大切にできる人でありたい。

この記事から私が受け取ったのは、その覚悟だ。

波風を立てない選択の代償

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