歴史的な年

2020年は、人生の転機とも言えるような歴史的な年となり、私自身も多くの価値観を獲得できたと感じている。

この「2020」を、「出来事」と「得られた価値観」という二つの切り口で振り返り、抽象言語化しておくことで、「人とチームの成長」の再現性を高める。

出来事

まずは、時系列ベースで振り返ろう。

1から3月 いつも通りのスタート〜不穏な雲行き

例年通り、元旦は高棚体育館練習でスタート。
日の出を浴びながら、「今年も可能な限りのことをやり続けよう」と誓う。
しかしまだ、激動の1年になるとは、まったく予想していなかった。

トレーニングのトピックとしては、昨年から取り入れたビジョナップを継続、視力強化につとめていた。

試合としては愛知県社会人シングルスへ出場し、鈴木選手が35歳代で惜しくも準優勝、塩澤選手が60歳代で優勝した。
試合で得た課題を練習メニューへ反映していった。

また若い世代の試合を見ながら、改めてノースピンの重要性を認識し、ノースピン練習を増やしていった。

順調な滑り出しに見えたが、新型コロナウィルスのニュースが少しずつ増え、不安が忍び寄っていた。
2月から、利用できない体育館が現れ始めたのである。

3月からは高棚体育館も利用できなくなり、平日の朝練会場は公園とした。
屋外ではあったが、ノースピン用フットワーク、リフレクションの修得や、ムチ運動を用いた振り方の修得を中心としたトレーニングを進めた。

利用停止期間は、2週間くらいと周知されていたので、このときはまだ短期的な対応と甘く考えていた。
利用できる体育館は少なくなっていたが、幸い週末練習は継続できていた。

練習トピックとしては、京都練習へ鈴木選手が初参加、多くの試合(7試合)をさせてもらいなんと初勝利。
ほぼほぼ負けたが接戦も増え上達を実感した。

京都練習へ向かうコーサク君

もっと上達したいという気持ちを強くし、翌日の浜松一日練習では、最後にキツいトレーニングに取り組むなど、一段と意欲を増し、京都へ行って良かったと感じていた。

勉強会トピックとしては、チームのミッションステートメントを協議、初版を制定した。
改めて、チームミッションである「成長したい者ほど居心地の良い場所を提供する」を意識し、活動意欲はより一層高まったように感じた。

ミッションステートメント

しかしながら、練習場所は着実に減っていた。
暗雲はすぐそこまで近づいていたのである。

4月 緊急事態宣言~ファーストエディション

今年はノースピンにこだわろうという思いから、ピンポン球を用いた練習も取り入れた。
試合で得た課題を中心に、練習メニューを着実に消化、上達度合いも格段に上がる中、4月最終週、ついに恐れていた事態が発生した。

緊急事態宣言が発令され、利用できる体育館がなくなったのだ。

「やっと勝負の世界へと踏み入れた選手の熱をなんとしても守りたい」

そのために、今何をすべきか。
目の前に二つの選択肢が突き付けられた。

  • 外でやれることだけやるのか
  • 練習環境を自ら構築するのか

選手には急成長が訪れる時期がある。
鈴木選手にはそれが訪れていた。
一方、この状況がいつまで続くかわからない。
急成長を逃す選択肢を私は選べなかった。

4月の最終週、
「25、26の二日間は、未来へ投資しよう」
選手へそう告げた。
練習環境の構築を優先したのである。

たった二日間ではあるが、
「継続はパクりなり」を掲げ、365日毎日トレーニングを継続しようという方針で何年も続けてきた私たちにとって、重大な決断であった。

選手に、最悪の事態に向けて考えていたプランを話した。
プランと言ったものの、言わば妄想していただけで、具体的な行動をしていたわけではなく、ゼロからのスタートであった。

羽根打ちをできる最低限の環境は何か、選手と協議した。
レンタルガレージ、貸し倉庫、貸し工場、屋根のある更地、広い部屋、体育館の建設・・・、
それぞれでどのような練習ができるか、練習計画とのマッチングも話した。

実際に確認しなければ、イメージがつかないので、現地にも足を運んだ。
そこで多くの方たちの話を聞いた。

レンタルガレージで決まりかけていたが、厚意で大きな倉庫を貸してくださる方と出会い、即契約した。
これが自作体育館「ファーストエディション」である。
4/26のことだった。

これで当面の練習場所を確保できたのだが、
契約直後のその日、土地探しに向かっていた。
セカンドエディションが必要となる予感があったのだ。

そして、その週の木曜日から、ファーストエディションでの練習が始まった。4/30のことだった。

天井は5〜7メートルと低かったが、多くの練習メニューをこなせるとわかった。4月最終週に決断した「未来への投資」は幸運にも成功したのである。

いつしか「Just Do It!」、「今すぐやろう!」が合言葉となっていた。

5月 ファーストエディションの整備

ファーストエディションを使いやすいように、フロアマット敷いたり照明位置を変えるなどリフォームしつつ、練習を継続した。

ほぼすべての練習メニューを実施でき、着実に練習計画をこなしていった。

一方、いつまでもここを貸してもらえるわけではないと考え、自作体育館セカンドエディションに向けて動き始めていた。

とはいえ、まったく知識がなく、どのような土地を買えば体育館を建てられるのか、体育館として使える建物はどのようなものがあるのか、金策は?などわからないことだらけであった。

建設業者さんや不動産屋さん、銀行さんをめぐり知識を深めていった。
そしてファーストエディションでの練習開始から一ヶ月が経過した5/30、ある土地に出会った。

なぜかipadを手にする塩澤氏

とても良い気の流れを感じ、なぜか運命的な出会いのように感じたのを覚えている。
それがのちにセカンドエディションが建設される土地であった。

そして5/31の記事に、私はこう書いていた。

「ファーストエディション最終日!?」

おそらく何かを予感していたのだと思う。

6月 ファーストエディション終了~セカンドエディション契約

別れの日は突然やってくる。

公共体育館の利用が再開される中、「公共体育館の利用が再開されたので」ということで、ファーストエディションの貸し出しが停止となった。

トレーニング場所として借用した倉庫

幸い公共体育館は利用可能であったため、練習は計画通り進められた。
一方、水面下で進めていたセカンドエディションへの移行を本格的に開始した。

土地の候補、建設業者さんの候補はいくつもあったが、土地に関しては、気の流れの良さと、地元の方の優しさに惹かれ、ほどなく決定した。

塩澤氏、会心の笑顔

あとは建物であるが、迷いはあったものの、岡山県からわざわざ打ち合わせに来てくださった熱意に、意気と仲間意識を感じて決定した。
6/14のことだった。

6/20には塩澤氏が早くも草刈りを開始、建設に向けて動き出した。

7〜8月 セカンドエディション完成

7/10から造成が開始される予定であったが、梅雨明けが長引き、造成が開始されたのは、7/28であった。

梅雨明け後は天候にも恵まれ、8/10には土間が完成した。

幸いなことに、引き続き公共体育館の利用はできたので、練習計画の遅延は無かった。

有田氏と同じ三脚を購入

気温は高かったが、お盆休みの練習も毎日実施できた。
公共体育館での練習最終日には、鈴木選手が蜂に刺されるイベントがあったものの、大きなケガもなく完了。

蜂に刺される鈴木選手

そして8/17、ついにセカンドエディションの建設が始まった。

完成は8/23となるが、8/22土曜日から練習可能となり、建設中に練習するという、貴重な(?)経験をした。

8/29にはコートマットを敷き、水道も開通、毎日少しずつ練習環境が整っていった。

9月 合宿開始~創出された時間

9/5には電気が通りエアコンが設置されたことで、合宿が可能となった。

週末の朝から晩まで練習漬けになれたことで、もちろん満足感はあった。
しかし一方で、さらに活動を加速できるのではないという思いが募り始めていた。
元旦の誓いである「今年も可能な限りのことをやり続けよう」を自問自答していたのだ。

大きく変わったのは、時間の使い方であった。
今まで移動や練習準備に使っていた時間を、練習や勉強会に使えるようになったのである。
この創出された時間を利用し、今まで「できなかった活動」に挑戦し、さらに選手を育てていこう、そう考えていた。

10月 できなかった活動への挑戦

「Just Do It、すぐやろう」という価値観はすっかりチームに浸透していたため、「できなかった活動」への挑戦は、またたく間に開始された。

1.練習メニューごとの動画作成

練習会場にいなくても復習できることや、初参加者への説明性アップのため、練習メニューごとの動画作成を開始、現在も継続している。

練習メニュー

2.ヒデさんの招へい

いつもアドバイスをくださるヒデさんに、練習環境を直接みてもらうようお願いした。
その日の夜ミーティングでたくさんのメッセージをもらった。

さらに幸運だったのは、11月に試合があることを教えてもらい、その場でエントリー、鈴木選手と塩澤選手の出場が決まり、翌日からはにわかに試合に照準を向けた練習が始まった。
「2週間しかない!」鈴木選手の表情が引き締まったのを覚えている。
競走相手不在の練習環境では、緊張感の保持が課題となるため、とても良い機会を得られたと感じていた。

3.バイクトレーニング再開

公園で実施していた朝トレーニングでの技術修得も現時点での目標値に到達したと判断、自宅へバイクを導入し、動画閲覧によるイメトレを兼ねたトレーニングへと移行、移動時間も削り、さらなる時間創出につとめ、活動を拡大させていった。

4.オンラインサロンへ入会

座右の銘「前言撤回」に、Just do it!と共通の価値観を感じ、かねてから入会したいと考えていた中田敦彦氏のオンラインサロン「Progress」へ入会、中田日記や会員の皆様からエネルギーを注入してもらっている。
この「Progress」が現在のホームページ名称へ反映されることとなる。

11月 ホームページ開設+試合準備+試合+振り返り

11月は、10月にも増して盛りだくさんの月となった。

1.ホームページ開設

「Badminton Progress」なるドメインを取得、ホームページを開設し、練習動画の置き場所とした。

また練習動画を検索しやすいよう、目的ごとに練習メニューをまとめ、自習効率を上げることとした。

練習メニュー

2.ブログ開始

活動を通じて得た価値観やマインドを言語化すべく、ブログを開始、ホームページへ掲載開始した。

ブログ

またチームと個人のミッションステートメントを見直し、チームのミッションステートメントを掲載した。
今後も定期的に見直し、さらなる成長を促していく。

3.久しぶりの試合

10月に急遽決定した試合に向けゲーム練習も導入し準備を進めた。
試合には鈴木選手と塩澤選手が出場、塩澤選手は60代で優勝、鈴木選手は惜しくも勝利できなかったが、技術的には上回っている点も多く、手ごたえを強く感じた。

練習してきたことをある程度出せて笑顔の鈴木選手

眼光が必要以上に鋭い塩澤選手

4.試合の振り返り

技術面はいつも通り振り返ったが、内面に対しては、自身が封印しているであろう「負けず嫌い」について話した。
自分と向き合い、得られた価値観をブログとしてまとめるようアドバイスした。
これは12月に完成することとなる。

5.マインドマップ作成

現在の活動がどのような目的とつながっているのかについて、改めて認識してもらうべく、マインドマップを作成してもらった。
まとめることで脳内の整理を強く感じたらしく、「仕事でも使っていきたい!」と前向きなコメントをもらえ、やってもらって良かったと実感した。

PHOENIX愛知のマインドマップ |

6.「球出し源さん」スタート

塩澤選手からは、「返済のために金を稼ぎたい」と打ち明けられたため、鈴木選手と私が利用しない日を用い、時給1000円(笑)で一般ユーザの練習をサポートする「球出し源さん」活動をアドバイス、ホームページ上で募集をかけ、「こそ練」ニーズへの遡及を開始した。

こそ練サポート

12月 今年の振り返りと、今年最後の試合

10月に開始した練習説明動画も12/15時点で34本を数え、
平均2日に1本ペースで継続している。
年末末年始連休でさらに加速させていく予定である。

11月に鈴木選手へ頼んでいた初ブログ「負けず嫌いさえ利用する」が完成、
過去の嫌な経験から封印していた感情に気づいてくれるなど、
私の想定より深く自らと向き合ってくれ、今後の飛躍への期待が増すとともに、監督と選手間の信頼関係がさらに強固になったと感じた。

そして私自身もこの一年を振り返るべく、これをまとめている。

練習としては、引き続き試合で得られた課題への対応を中心に実施しており、今年最後の試合となる12/26の県社会人リーグ個人戦に向け準備を進めている。

まさに激動の一年となった2020の集大成のような時期の開催となるが、どのような結果であったとしても、選手がこの1年で成長できたことをきちんと振り返り、2021年の飛躍へとつなげていく。

▲1 追加:2020.12.31

大晦日の今日、今年最後の振り返りを行い、この書物を完成させる。

12/21、書籍出版に初挑戦、バドミントンを嫌いになりかけている方へ「ワクワクを奪還する10の価値観」として提案した。

12/23、新著「あなたが見ていてくれるから」の執筆を開始、物語形式とすることで、理解度を高める構成に挑戦。

12/26、今年最後となる試合に出場、鈴木選手は全国的トップレベルの2選手と対戦、敗退となったが、前回対戦より明らかにラリーが長くなり、成長を形にした。

12/30、鈴木選手が2020年で成長できたことや挑戦したことを言語化した。
ノースピンかノースピンではないかの感覚を理解し、ミスをさらに減少させた。
ノースピン用フットワークを修得し、レシーブ力を向上させた。
プッシュ練習では、速いレシーブに対し恐れることなく打ち返せるようになった。
イヴァノフ打ちにより、角度のある攻撃を修得、監督相手でもエースを連発するようになった。
ラウンドtoラウンドのクリアを覚え、たいていの相手ならクリアで押し負けることがなくなった
ノーモーションネット、ノーモーションロビングを修得し、ネット前からエースを奪えるほどになった
フォア奥で開いた体勢からも強打できるようになったことで、前方待機できるようになり、より攻撃的なプレーの修得につなげた。
ハイバックの打ち方では、左肩を使えるようになり、前方へ身体を流さなくても打てるようになった。
ブログ「負けず嫌いさえ利用する」を執筆、自身が抑制していた内面を鋭く洞察した。
マインドマップを用い、活動目的と活動のトレイサビリティを確認した。

12/31、2020年最後の練習を完了、新著「あなたが見ていてくれるから」を出版。

*** 12/31追加分はここまで ***

ここまでが出来事編。
次は、得られた価値観について述べる。

得られた価値観

激動の一年を通じ、私自身も多くの価値観を得たように感じる。

1.Just Do It!

この言葉自体は、ありきたりなことかも知れない。
しかし「継続はパクリなり」と常日頃言っていたように、
継続こそ美徳と考えていた私にとって、真逆に近い価値観である。

また、いわゆるPDCAを是とし、念入りに計画を立ててから実行することを是と考えていた私にとっても、真逆に近い価値観である。

体育館を建てることに対しても、塩澤さんが三年以上前から掲げていた
「建てる建てる宣言」に期待し、自分自身は何も行動せず、
ひたすら練習計画の推進に没頭していた。

今回、公共体育館の利用停止という外的要因ではあったものの、
新たなことに挑戦して感じたことは、
小さくてもいいから「速攻」で結果を出すことだ。

ファーストエディションは、小さな成功ではあったが、
速攻で結果を出したことで、活動に関わるメンバに
「やれる」「またやりたい」という、自信と意欲を発生させ、
そのエネルギーがより多くの協力の獲得へとつながり、
セカンドエディションプロジェクトを成功へ導いたと感じている。

もちろん成功だけではない。
失敗することもある。

でもやってみなければわからないことがほとんどである。
体育館を建てようとしなければわからなかったように。

やってみて(D)、振り返り(C)、次へ進む(A)。
「朝令暮改」「前言撤回」「三日坊主」も大歓迎だ!!
(三日坊主とは、速攻で結果を出したからこそである)

体育館建設だけではない、練習動画まとめ、ブログ、マインドマップ作成、
オンラインサロン、球出し源さん・・・思いついたらすぐ始めよう。

ダメならやめればいい、それだけである。
このトライアンドエラーの連続が人を成長させるのだと、改めて実感した。
継続だけでなく、すぐやること、すぐやめることすら、人を成長させる。

つまり人はどんな経験からも成長できるのだ。
私はまた一つ、
人とチームを成長させる再現プロセスを学んだのである。

2.やらされても良い

2019までの私は「やらされるのではなく、やる」を正しいと考えていた。

「練習はやらされるのではなく、自分がやるべきと考える練習をやれ」
というような言葉を、何度も耳にしたことがある。
私もそれが正しいと思っていた。

受け身ではなく、自発的に行動することを是としていたのである。

今回、計画的、自発的ではなく、あくまで外的要因で体育館を建てることになった。
しかし上でも述べたように、私は多くの学びを得た。

このことから、得たのが「やらされても良い!」の価値観である。

考えてみれば、世の中のほとんどのことは、やらされているとも言える。
極論ではあるが、空気を吸わないと死んでしまうので吸わされている、
とも言えるのだから。

やってもやらされても、人は成長できる。

やはり、人はどんな経験からも成長できるのだ。

3.目的なんかどうでもいい

2019までの私は、同じ目的や価値観を持つ者としか、協力しあえないと考えていた。

例えば、ともに日本リーグ優勝を目指すからこそ、
切磋琢磨しあい、協力しあうことができるのだと。

「やる気がないならやめてしまいなさい」
そんなことを言ってしまったこともある。

しかし、たとえ目的が全く異なっていても、力を合わせることができるのだと理解できた。

塩澤さんは虚栄心の塊(注:否定的な意味合い無し)のような方であり、
私とは真逆の価値観を持っている。
それでも私や鈴木選手と力を合わせて、ファーストエディション、
セカンドエディションと、とんでもない速度で
体育館プロジェクトを成功させたのである。

目的や価値観がそろわない限り、協力しあえないと思っていた私は、
ハンマーで頭を殴られたような震撼を覚えた。
相手の目的とか価値観なんかどうだっていいのだと、理解できた瞬間であった。

どのような目的の人とともに協力しあえ、ともに成長できる。
・・・やはり、人はどんな経験からも成長できるのである。

そしてこの価値観から生まれた合言葉が、「力を合わせて上達しよう」である。

4.発信すること自体が自分を成長させる

2019までの私は、動画などを発信することが相手を成長させ、
めぐりめぐって自分を成長させるというような成長モデルを描いていた。

毎週のように練習動画をアップしている理由は、
自分の研究をみた誰かが成長すれば、
今度はそれを自分がみることで自分が成長できるのだ、
という話をしたこともある。

自分の成長 → 周りの成長 → 自分の成長・・・

とスパイラルを描く成長モデルである。

出来事編で述べたように、結果的に時間を創出できた私は、
知見を整理すべく練習メニューごとの動画作成を開始した。

以前は撮影した動画をアップしていただけであったが、メニューごとにまとめ、ポイントとなる部分の説明も加えるようにした。

また今まで勉強会などで話していた内容を、
ブログやマインドマップとしてまとめて発信することも開始した。
これらの活動を通し、
私は相手の姿をより多く意識するようになっていると気づいた。

勉強会だけなら話し相手の理解度合いを見ながら発信できたが、
上記の発信では相手の姿は見えない。
どう書いたら伝わるだろう、それを深く考えるようになっていた。

より深く考えるようになったことで、
選手への伝え方も変わっていったように感じている。

まとめた内容に対し、
「すごくわかりやすい、確認したいときにすぐ探せる!」
と理解してくれたのだ。

逆に言うと、今までたくさん話してきたが、記憶に残せていなかったのである。
伝え方が変わり、そのことを理解できた。

そして選手が私同様、新たな取り組みをいくつも開始してくれた。
つまり、相手を想像し伝える努力をするプロセス自体が、
自分を成長させていると理解できた。

今までの成長モデルでは、相手の成長ありきであったが、
相手に伝える努力をすることで、
結果的に相手が成長するという経験でも、成長しないという経験でも、
人は成長できるのだ。

5.選手の成長自体が喜び

2019までの私は、「自己成長」を目的として生きていた。
選手を育成しているのも、
その活動を通じて自分が成長できると思っていたからである。

「選手の成長が自分の喜び」などというセリフは、
本当は選手から感謝されたいとか、
「周りから評価されたいなどという欲求をコーティングしたきれいごと」
だと考えていたのだ。

自分から離れた選手が強くなっても、
それを喜びと思えない指導者を多くみてきたからである。

今までも、選手の成長のために可能な限りのことをやろうと考えてきて、
今年もそれに則って行動してきたわけだが、
結果的に、選手はこの一年で急成長した。

ノースピン用フットワークの修得、リフレクションフットワークの修得、
イヴァノフ打ちに代表されるスマッシュ革命、高速ドライブの修得など、
技術的な成長はもちろんだが、
練習や試合で見せる「イライラした表情」に、バドミントンを「楽しむだけ」
でやっていた頃との違いを大きく感じている。
また、マインドマップ作成、初ブログなどの活動では、
見たくない自分とも向き合い、たくましく成長していると感じる。

これらはこの激動の一年を乗り越えながら、ともに活動してきた結果なので、
私が計画的に育成したわけではなく、
本人の力とこの激動の一年があったからである。
つまり、2020の育成を通して、自分が成長できたわけではない。

にもかかわらず、この成長を心から喜んでいる自分がいる。
もう自分の成長などどうでもいいのである。

ああ、
自己成長を目指し、可能な限りを尽くそうと活動してきたのに、
とんでもない場所に来てしまった。

きれいごととか、きれいごとじゃないとか、もはやどうでもいい。

選手の成長自体が私の喜びなのだと、私は理解したのだ。

2020.12.17 チームPHOENIX愛知 監督 中島信頼

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