コート上の幸福論:「祝われる」より「祝う」が、実は最強説。
「人に祝われるより、人を祝いたい」
などと言うと、「はいはい、聖人君子アピールですね」「意識高い系ですか?」などと思われますか? まあ、無理もありませんね。
でも残念ながら、これは道徳の授業でも自己啓発セミナーでもありません。もっと現実的で、ある意味少しズル賢い「自分が確実に幸せになるための戦略」の話です。
他人任せの幸せは、不安定すぎます
考えてみてください。
試合でスーパープレーを決めた!「よっしゃ、褒められる!」…と思いきや、チームメイトは自分のミスに落ち込んでいますし、監督はスマホを見ていますし、観客はアクビをしています。よくある光景です。
SNSで「大会頑張った!」と投稿。つく「いいね!」はせいぜい数個。なぜかライバルチームの他愛ない投稿のほうがバズっていたりします。これも、よくあることですね。
つまり、「祝われる」「評価される」というのは、完全に他人ガチャなのです。自分のコントロール外です。そんな不確定要素に自分の幸福度を委ねるなんて、風の強い日に屋外でシャトルを打つようなものではありませんか? 無謀すぎます。
「祝う」は自分で選べる最強カードです
では、どうしましょうか? 答えはシンプルです。「祝う側」に回るのです。
- チームメイトの絶妙なヘアピンに「ナイッショ!」と声をかけます。
- ライバルだけど、相手の強烈なスマッシュに「今のはヤバいな…」と内心でも認めます。
- 練習中、他のペアがいいコンビネーションを見せたら「今のいいね!」と伝えます。
「祝う」かどうかは、100%自分で決められます。誰の許可もいりません。これぞ最強のコントロール可能な幸福です。サービス権より確実かもしれません。
【要注意】見返りを期待したら、少々格好悪いかもしれません
ここで重要な注意点、というか、ひとつ毒を吐かせてもらいます。
「よーし、祝ってあげたぞ。さあ、『ありがとう』は?」「あれだけ褒めたのに、無視ですか…」
こう思った瞬間、アウトです。結局、相手の反応というコントロールできないものに期待しています。それでは、さっきの「他人任せの幸せ」と何も変わりません。むしろ、祝った分だけたちが悪いかもしれません。少々、格好悪いですね。
本当の強者は、相手が塩対応であろうが、無反応であろうが関係ありません。「いいプレーを称賛できた自分」「仲間の成功を喜べた自分」そのものに価値を見出し、誇りを持ちます。見返り不要の精神的マウントです。これができれば、本当に無敵です。
結論:幸福の主導権を握りましょう
他人の評価に一喜一憂する不安定なメンタルゲームからは、もう降りましょう。
自分で選んで、自分で実行できる「祝う」というアクション。そこにこそ、ブレない自信と確かな幸福感があります。
さあ、コートの中でも外でも、どんどん周りを祝っていきましょう。そのほうが、きっと気分がいいはずです。
…まあ、「別に、私はちやほやされたいので」という方は、どうぞそのまま他人ガチャをお楽しみください。幸運を祈ります。