自信過剰という底なし沼 ~勘違い野郎への処方箋~

「自信を持て」という呪い

巷に溢れる「自信を持て!」というエール。まるで万能薬のように扱われるが、これは時に最もたちの悪い呪いとなる。なぜなら、人間という生き物は、悲しいかな、実力や知識が乏しい者ほど、己を過大評価する傾向にあるからだ(小難しい言葉で「ダニング=クルーガー効果」というらしい。知らなくても困らないが)。根拠なき自信は、成長ではなく停滞、いや、後退への特急券でしかない。

勘違いが生む悲劇 ~進歩なき者の言い訳~

あなたの周りにもいないだろうか? 大した実績もないのにやたらと上から目線で語る「自称・理論派」、数回の成功体験を錦の御旗のように振りかざし続ける「過去の栄光依存症」。彼らに共通するのは、現実の実力から目を背けるための「自信」という名の盾だ。それは挑戦を避けるための、あるいは努力から逃げるための、実に都合の良い言い訳に過ぎない。その結果、待っているのは「しょうもないレベル」からの永遠の脱出不可能という悲劇だ。

「底辺」という名の鏡

「君たちはバドミントン界のド底辺だ」――この痛烈な言葉に、もしあなたが不快感や嫌悪感を覚えるなら、それは図星だからに他ならない。そのちっぽけなプライドが、あなたを「底辺」という名の沼に縛り付けている諸悪の根源なのだ。耳に痛い言葉、目を背けたい現実こそが、そのくだらない自己評価を破壊する唯一の劇薬。受け入れる覚悟がなければ、沼の底で藻掻き続けるだけだ。

本物だけが知る「無力」

一方で、真にレベルの高いプレイヤーはどうか。彼らは驚くほど謙虚に自分の「無力さ」を認識しているものだ。「自分なんてまだまだ」「もっと上手くなりたい」。世界の広さ、上には上がいることを知っているからこそ、彼らは過大評価という罠に陥らない。現実を直視する強さがあるからこそ、彼らは成長し続けられるのだ。勘違い野郎とは、そこが決定的に違う。

さあ、耳障りの良い「自信」という麻薬に酔いしれるのはもう止めにしよう。必要なのは、己の現在地を正確に知るという、苦いが必要な薬だ。その現実認識からしか、真の成長は始まらないのだから。

HOMEへ戻る

スポンサーリンク