『性善説の落とし穴 — スポーツの公平性を脅かす美しき幻想』
試合中、相手選手が「わざとじゃない」という感を醸し出しながら、ゆっくりシャトルを拾いに行くのを見たことはありませんか?
「みんな善意で行動している」—この温かい考え方が、実は最も卑劣な不公平を生み出す瞬間でもあります。
確かに性善説は美しい理想です。人間の本性を善と信じることで、私たちは互いに信頼し、助け合い、安心できる社会を築けます。
しかし、コート上の現実はどうでしょう?
反則ギリギリの駆け引きで有利に立とうとする選手。フォルトにならなければ、わざと遅延し、リズムを崩そうとする相手。「悪気はなかった」と言われれば許されると知っている者たち。
こうした行為を「善意だった」と見逃す度に、真面目に規則を守る選手たちは裏切られています。フェアプレイが報われず、抜け道を探す者だけが勝利する世界—それが本当に私たちの望む姿でしょうか?
少なくとも、性善説の美しさに酔いしれるのは、コートの外に限りましょう。スポーツにおいて「みんな善人だから」という甘い幻想は、最も深刻な不公平を生み出す毒にもなり得るのです。
公平なプレイを守り抜く勇気こそが、真のバドミントン精神ではないでしょうか。