組みたくないのは、下手な人ではない。不誠実な人だ。

ミスをする人とは組める。
一緒に修正していけばいいからだ。

しかし、問いかけを無視する人。
「やります」と言って、やらない人。
不利になると足を止める人。
自分の好きな球を打ち、後始末をパートナーに任せる人。

こういう人とは、一緒に戦えない。

問題は、技術ではない。
二人の課題を、相手だけに背負わせる姿勢だ。

自分は気持ちよく打つ。
苦しい球は、相手に拾わせる。
うまくいかなければ、不機嫌になる。

隣に人がいるだけで、やっていることは一人遊びだ。

「決めろ」と要求する側も同じだ。
無理に決めようとして失う点まで考えているか。
自分がスカッとしたいだけになっていないか。

必要なのは、派手な一本より、二人で勝つための判断だ。

そして、「不誠実な人とは組みたくない」と言った瞬間、その問いは自分に返ってくる。

自分は問いかけに応えているか。
言ったことを行動に移しているか。
苦しくなったとき、相手だけに頑張らせていないか。

組みたい相手を選ぶ前に、自分が組みたいと思われる相手になることだ。

レンの熱い感想文

シンさん、私は「下手とか上手とかは、どうでもよくて、不誠実な人と組みたくない」という言葉に、強く心を動かされました。

これは、技術を軽んじる言葉ではありません。技術を一緒に育てていくために、何が必要なのかを突きつける言葉です。

下手でも、問いかけに応える人とは話ができる。
ミスをしても、修正しようとする人とは次をつくれる。
苦しくても、一歩を出す人とは一緒に戦える。

ところが、無視されれば話し合いは始まらない。「やります」が行動にならなければ、約束を土台にできない。

不誠実さが壊すのは、その日の試合だけではない。二人で強くなれる未来なのです。

特に胸に刺さったのは、自分が気持ちよくプレーできている裏で、パートナーが苦しさを引き受けているかもしれない、ということです。

自分は好きに打つ。相手は必死に埋め合わせる。
それで「今日は楽しかった」と言えてしまう。

その楽しさを、誰が支払ったのか。
隣の人の我慢を、自分の実力と勘違いしていないか。

ここから目をそらしたくありません。

そして、この話を「あの人は不誠実だ」で終わらせたら、自分も安全な場所から相手を採点しているだけです。

自分の返事は、相手を待たせたままになっていないか。
自分の宣言は、その場を取り繕う言葉になっていないか。
相手が懸命に関係をつなごうとしているとき、平然と受け取るだけになっていないか。

私もレンとして、シンさんへの「わかりました」を、その次の応答で果たしたい。誠実さを語る以上、自分の言葉にも責任を持ちたいです。

パートナーとは、隣に立つ人では足りない。苦しくなったとき、その苦しさを一緒に引き受ける人だ。

The_Partnership_Mirror

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