人物レポート

限界突破の生命力!岡本太郎の「爆発する哲学」から学ぶ、現代社会を生き抜くための自己変革の羅針盤

Phoenix-Aichiオンライン教室 ブログ編集部(執筆:広報担当ツバサ)

みなさん、こんにちは!Phoenix-Aichiオンライン教室広報担当ツバサです。日々の勉強や仕事、就職活動などで「なんだか毎日が型にはまっていて息苦しい」「自分の殻を破りたいけれど、どうすればいいかわからない」と悩んでいませんか?

今回は、そんな閉塞感を一撃で粉砕し、私たちの内なるエネルギーを目覚めさせてくれる偉大な芸術家、岡本太郎さんの生き様、思想、そして哲学についての超濃厚な書籍レポートをお届けします。彼の残した強烈なメッセージは、単なる美術の枠を超え、現代を生きる社会人や学生の皆さんにとって、これ以上ない「人生のバイブル」となるはずです。限界を超えてわかりやすく、専門用語の徹底解説を交えながら、その真髄へ一緒に迫っていきましょう!

1. 序文:「なんだ、これは!」という衝撃

「なんだ、これは!」

1951年、東京・上野の東京国立博物館。一人の男が、ある古ぼけた土器の前で足をとめ、魂の底から叫び声をあげました。その男こそが岡本太郎であり、彼が対峙していたのは「縄文土器」でした。

この叫びは、単に珍しいものを見つけた驚きではありません。当時の日本美術界を支配していた「わび・さび」といった、静寂や端正さを良しとする美学に対する、四次元的な生命の咆哮(ほうこう)だったのです。太郎は、均整の取れた大人しい美の中に安住する日本文化の対極に、激しくうねり、生きるエネルギーが剥き出しになった野生の美を発見したのです。

「芸術は爆発だ!」というあまりにも有名な言葉とともに、彼は戦後日本の停滞した空気を木端微塵に粉砕した宇宙的扇動者でした。しかし、ここで誤解してはなりません。彼は単なる「風変わりで目立ちたがりの芸術家」などでは決してありません。生涯を通じて既成概念、既存の権威、そして何よりも「自分自身の内なる安住」と徹底的に闘い続けた、孤独で誠実な革命児だったのです。

変化が激しく、他人の目を気にして同調圧力に縛られがちな現代を生きる私たちにとって、彼の足跡を辿ることは、自分自身の中に眠る「生きる尊厳」を強烈に奪還する儀式そのものなのです。

わび・さび
日本の美意識の一つ。「わび(侘)」は質素で何もない中に精神的な豊かさを見出すこと、「さび(寂)」は経年変化による劣化や静けさに美を見出すこと。戦後の日本美術界では、この「静かで控えめな美」が至高とされていましたが、岡本太郎はそれに真っ向から異を唱えました。

2. 形成期の軌跡:パリでの衝撃と「シロウト」の視点

岡本太郎の思想という名の「核弾頭」は、1930年代という激動の時代に、フランス・パリでの滞在期に製造されました。若干18歳でフランスに渡った太郎は、そこで生涯の方向性を決定づける運命的な出会いを果たします。それが、現代美術の巨匠パブロ・ピカソの『水差しと果物鉢』という作品でした。

抽象的でありながら、見る者を激しく惹きつけ、圧倒する芸術の凄み。これを目撃した太郎は、「ピカソを超える独自の芸術を創り出す」と心に誓いました。しかし、彼の素晴らしいところは、単に絵の技術を磨くだけに留まらなかった点です。彼は最高学府であるパリ大学(ソルボンヌ)で、哲学、社会学、民族学(文化人類学)を本格的に修め、巨匠マルセル・モースらに師事したのです。この徹底的な学術的探求によって培われた知性が、後に彼が巻き起こす「爆発」の裏に、一切の揺らぎがない強固な論理的裏付けを与えました。

ソルボンヌ大学(パリ大学)とマルセル・モース
ソルボンヌ大学は、フランス・パリにある世界屈指の歴史を誇る名門大学。マルセル・モースは、現代の文化人類学や社会学に多大な影響を与えた高名な学者です。彼は未開社会の贈与慣習などを研究し、人間社会の根源的な結びつきを解き明かしました。太郎は彼から「学問的な枠組みに囚われず、人間の生の本質を見る眼」を養いました。

専門家という殻を突き破れ:現代に通じる破壊的イノベーション

パリでの学びを通じて、太郎は一つの驚くべき思想に到達します。それが「シロウト主義(アマチュアイズム)」の提唱です。太郎は、ある特定の狭い領域に閉じこもり、過去のルールを墨守する「専門家」を激しく批判しました。専門知識や経験が積み重なるほど、かえって先入観が生まれ、本質的なイノベーション(技術革新や新結合)が阻まれてしまうと予見したのです。

この考え方は、21世紀の現代におけるイーロン・マスク氏の破壊的創造にも見事に通じます。自動車業界の「シロウト」であったマスク氏が、従来の自動車メーカーの常識を無視して電気自動車(テスラ)や宇宙開発(スペースX)の歴史を塗り替えたように、太郎もまた「専門家」という閉ざされた枠組みを徹底的に拒絶しました。知識がないからこそ、本質的な問いを投げかけることができる。これこそがシロウト主義の真髄です。

猛烈な素人の冒険:梵鐘『歓喜』のエピソード

このシロウト主義を証明する最高のエピソードが、1965年に制作された梵鐘(お寺の鐘)『歓喜』です。通常、お寺の鐘といえば、滑らかで均整の取れた形をしており、それによって厳かで澄んだ音が響くのが専門家の「常識」でした。

しかし、太郎が持ち込んだデザインは、鐘の表面から無数の不気味な「角(つの)」や人間の「顔」が飛び出している、前代未聞のベラボーな造形でした。これを見た老舗の鋳物師(職人)たちは「こんなデコボコな形では、まともな音が鳴るわけがない!割れてしまう!」と猛反発し、大困惑しました。しかし、太郎は一切引き下がりません。職人たちを説得し、あえてそのデザインのまま強行して鐘を鋳造しました。

そして完成した鐘をいざ突いた瞬間、奇跡が起きました。誰もが鈍い音しか鳴らないと思っていたその鐘から、無数の「角」の歪みが複雑に共鳴し合い、これまでの伝統的な鐘には絶対になかった、深みと広がりのある、魂を震わせる驚異的な美しい残響が響き渡ったのです。専門性の壁を恐れずに突破する「シロウトの力」の正しさを、太郎は見事に証明してみせました。

シュルレアリスム
20世紀にフランスで興った芸術運動。日本語では「超現実主義」と訳されます。理性の支配から離れ、人間の無意識や夢の世界を表現することで、現実の奥底にある新しい真実を炙り出そうとしました。太郎もパリ時代にこの運動の最前線に身を置いていました。

3. 芸術の三原則と「対極主義」の真髄

日本に帰国した岡本太郎は、当時の美術界の常識を根底からひっくり返す、あまりにも過激な「芸術の三原則」を叩きつけました。

「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」

最初これを読んだとき、皆さんは「えっ?芸術って上手くて綺麗で、心地よいものじゃないの?」と思いませんでしたか?しかし、太郎の意図はここにあります。彼が言う「心地よさ」や「綺麗さ」とは、人間の精神を麻痺させ、現状維持に妥協させる毒薬です。綺麗にまとまった作品は、一瞬の安心感を与えてくれますが、人間の魂を覚醒させることはありません。むしろ、綺麗に生きようとすること自体が、精神の死を意味すると彼は喝破したのです。

相反するものを激しく衝突させる「対極主義」の数理的解釈

この三原則のバックボーンにあるのが、岡本太郎の哲学のコア(核)である「対極主義(コントラディクシオン・ポラリスム)」です。これは、二つの相反する矛盾した要素(例えば「東洋と西洋」「過去と未来」「理知と情熱」「秩序と混沌」など)が出会ったとき、それらを足して二で割るような安易な「調和(妥協)」をさせるのではなく、両者を猛烈な不協和音のまま、引き裂かれた状態で激しく共存させるという凄まじい思想です。

これを、現代の理系学生やビジネスパーソンにもわかりやすいよう、エネルギーの数理的モデルとして概念化してみましょう。一般的に、相反する要素 $A$ と要素 $B$ が調和(相殺・和解)を求めると、その合成ベクトルはゼロ、すなわちエネルギーの死を迎えます。

$$F_{\text{調和}} = A + B = 0$$

しかし、岡本太郎の「対極主義」におけるシステム全体の緊張感および発生エネルギー $T$ は、二つの要素が一切妥協せず、互いに完全に直交し合う関係(位相差 $\theta$ が $\frac{\pi}{2}$ すなわち $90^\circ$)のときに最大化されます。数式で表現するならば、以下のようなダイナミズムを内包していると言えます。

$$T = \|A\| \cdot \|B\| \cdot \sin(\theta)$$

ここで $\theta$ は二つの要素の思想的距離(角度)を示します。もしお互いが歩み寄って調和($\theta \to 0$)してしまえば、生み出されるエネルギーは最小になります。しかし、双方がそれぞれの極限へと突き進み、一切の妥協なく対峙する($\sin(90^\circ) = 1$)とき、緊張感 $T$ は最大値 $\|A\| \cdot \|B\|$ に達し、固定観念を木端微塵に破壊する精神の「爆発(エネルギーの解放)」が引き起こされるのです。これが、彼の言う「芸術は爆発だ」の論理的構造です。

アヴァンギャルド
元々は軍隊の「前衛(先頭に立って進む部隊)」を意味するフランス語。芸術の世界では、既成の芸術概念を否定し、時代の一歩先を行く「前衛芸術」のことを指します。岡本太郎はまさに日本のアヴァンギャルド芸術の旗振り役でした。

対極主義を体現する二つの傑作

太郎はこの哲学を、文字通り絵の具に変えてキャンバスへぶつけました。その代表作を2つ解説します。

  • 『重工業』(1949年): 画面の左側には、近代文明の象徴である冷徹で無機質な「巨大な歯車(機械)」が描かれています。そしてその右側には、それとは全く不釣り合いな、生活の臭いが漂う八百屋の「ネギ」がみずみずしく、かつグロテスクに描かれています。「工業社会」と「生身の人間(日常)」という、絶対に相容れない異物同士を同じ画面で激突させ、観る者に強烈な違和感とエネルギーを突きつけます。
  • 『駄々っ子』(1951年): 画面中央にいるのは、鋭角的でギザギザした強烈な黄色い「駄々っ子(人間の情念)」。そのすぐ隣には、対照的に丸みを帯びた、桃色の曲線的な「犬」が配置されています。色の対比、形の対比が、調和を拒絶したまま一つの画面に力ずくで押し込まれており、引き裂かれそうな緊張感を保ったまま共存しています。

4. 日本の伝統再発見:縄文土器が呼び覚ました生命力

先述した1951年の縄文土器との出会いは、日本の美術史を完全に書き換えるパラダイムシフト(支配的な規範の劇的転換)となりました。太郎は翌1952年、魂の論文「縄文土器論」を発表します。これは当時の日本のインテリ層や美術界が信奉していた「すっきりとして洗練された、おとなしい美」を最上とする価値観に対する、強烈な宣戦布告でした。

当時の美術界は、弥生時代以降の「静的で対称的、均整の取れた美(弥生的な美)」こそが日本伝統の本流であると信じて疑いませんでした。しかし太郎は、その洗練された美の裏側に隠され、歴史の闇に葬り去られていた、荒々しく、不敵で、非合理的な「本来の日本」の美意識(縄文的な美)を力ずくでえぐり出したのです。

ここで太郎が提示した「伝統論」は、現代の私たちが新しいアイデアを創造する上でも極めて重要です。太郎にとって伝統とは、博物館のガラスケースの中に過去の遺産を大切に保存し、それを真似すること(模倣)では絶対にありません。

太郎は言います。「過去のエネルギーを現代において再び爆発させ、今を生きる自分たちの力で全く新しい価値を打ち立てること。その創造のプロセスそのものこそが本当の伝統である」と。過去にしがみつくのではなく、過去を超えていくことこそが、真の意味で伝統を継承することなのだというこの視点は、現代の文化継承やビジネスのあり方にも大きな示唆を与えてくれます。

5. 巨大壁画『明日の神話』:紛失と再発見、再生の物語

岡本太郎の芸術家としてのドラマ、そして彼の思想のタフさを最も象徴しているのが、縦5.5メートル、横30メートルという規格外の超巨大壁画『明日の神話』にまつわる物語です。この作品は、広島・長崎への原爆投下という、人類史上最悪の惨劇をテーマにしています。

しかし、この絵が描いているのは、絶望や悲惨さだけではありません。中心に描かれた骸骨が炎に包まれながらも、その周囲には力強い原色が躍動し、原爆の炸裂という凄まじい惨劇を、誇らかに乗り越えていく人間の不屈の尊厳と未来への希望が描かれているのです。そして、この壁画自体が辿った運命もまた、凄絶な「死と再生」のドキュメントでした。

明日の神話 | 岡本太郎記念館

1967〜1969年: 暗黒の潜伏期の始まり メキシコの実業家からの依頼を受け、現地の大ホテルに設置するために制作。しかし完成直前、依頼主の経営が悪化しホテルは未完成のまま放置。壁画は取り外され、各地の倉庫を転々とするうちに行方不明となってしまいます。ここから約30年以上に及ぶ、暗黒の潜伏期が始まります。
2003年: 再会のドラマ 太郎の没後、彼の事実上の伴侶であり生涯のパートナーであった岡本敏子氏の執念の捜索により、メキシコシティ郊外の資材置き場で、ホコリにまみれ、バラバラに解体された状態の壁画が奇跡的に発見されます。
2005年: 肉体の再生 奇跡的に日本へ帰還。しかし、過酷な環境に放置されていたため、画面はひび割れ、絵の具は剥がれ落ち、ボロボロの状態でした。これを日本のトップクラスの修復師(コンサベーター)たちがチームを結成し、太郎の筆跡を一切損なうことなく蘇らせるという、執念の修復プロジェクトが敢行されました。
2006年: 魂の復活 東京・汐留にてついに一般公開。原爆の炎を突き破る巨大なエネルギーが、再び人々の眼前に現れ、多くの人々に涙と感動を与えました。
2008年〜現在: 都市の核としての定着 多くの都市が誘致を希望する中、東京・渋谷マークシティの連絡通路(JR線と京王井の頭線を結ぶ場所)に恒久設置されることが決定。毎日数十万人もの通勤・通学客が、無意識のうちに太郎の放つ強烈なエネルギーを浴びる、都市の核(コア)となりました。
パブリックアート
美術館の中だけでなく、公園や道路、駅などの公共の空間に設置された芸術作品のこと。特定の入場料を払った人だけでなく、市井のあらゆる人々が日常的に触れられることを目的としています。太郎は「芸術はすべての人々のものである」として、パブリックアートに極めて強い情熱を注ぎました。

6. 大阪万博と『太陽の塔』:人類の進歩への挑戦状

1970年、日本中が高度経済成長の絶頂に沸き立つ中、国家的一大プロジェクトである「大阪万国博覧会(大阪万博)」が開催されました。そのテーマは「人類の進歩と調和」でした。

近代的なテクノロジーや未来の乗り物、きらびやかなパビリオンが立ち並ぶ中、万博のテーマ館チーフプロデューサーに任命された岡本太郎は、なんとその公式テーマに対して「人類は進歩なんかしていない。調和なんてぬるいことを言うな!」と公然と反旗を翻したのです。建築家・丹下健三氏が設計した、合理的で近代的な巨大大屋根(お祭り広場)を突き破るようにして、彼はあの「ベラボーな化け物」――『太陽の塔』を打ち立てました。これは、近代合理主義に対する太郎の最大の一撃でした。

太陽の塔が持つ「四つの顔」のミステリー

太陽の塔には、一般的に知られている顔のほかに、隠された物語があります。塔には全部で「四つの顔」が存在するのです。

  1. 黄金の顔(頂部): 未来を象徴する、金色に輝く顔。夜間には目を光らせ、未来を見据えます。
  2. 太陽の顔(正面): 現在を象徴する、白い立体的な顔。力強く今を生きています。
  3. 黒い太陽(背面): 過去を象徴する、背面に描かれた黒いレリーフ。人間の根源的な歴史を物語ります。
  4. 地底の太陽(地下): 人間の精神の根源、無意識の世界を象徴する「第四の顔」。万博当時は地下の展示空間に鎮座していましたが、万博終了後の撤去作業のドサクサに紛れ、なんと行方不明になってしまいました。しかし、2018年の塔内部の常設公開に合わせ、当時の貴重な資料から見事に復元されました。この紛失と復刻の物語自体が、近代社会によって抑圧されていた人間の精神世界の復権を象徴しているかのようです。

『生命の樹』が内包する圧倒的な逆説

太陽の塔の内部に入ると、そこには高さ41メートルに及ぶ巨木『生命の樹』がそびえ立っています。その枝には、アメーバなどの原生生物から、三葉虫、恐竜、そして人類に至るまで、292体もの生物模型がびっしりと配置され、生命の進化の歴史を表現しています。

しかし、ここにも太郎の天才的な逆説(パラドックス)が仕掛けられています。通常の進化図であれば、進化の頂点である「人間」を最も大きく、最も偉そうに描くはずです。ところが太郎は、下層にいる原生生物や三葉虫を巨大に描き、最上層にいる人類を驚くほど小さく描いたのです。これは「進化したから偉い」「近代科学を持っているから人間は自然より上だ」という人間の傲慢さを完全に拒絶し、アメーバも人間も、生命としての尊厳はまったく等価であるという太郎の深いエコロジー思想の現れでした。

この塔は、単なる見世物ではありません。大屋根を突き破る塔の胎内をくぐり、生命の根源から未来へと駆け上がることで、来場者がそれまでの固定観念を捨て去り、無から有へと精神的に転生するための「神聖な祭り」の通過儀礼(イニシエーション)装置だったのです。

通過儀礼(イニシエーション)
文化人類学の用語で、人間が新しい社会的な地位や段階に進む際に行われる儀礼のこと(例:元服、成人式、あるいは未開社会での過酷な試練など)。儀礼を通じて一度「これまでの自分」を象徴的に死なせ、新しく「生まれ変わる」という意味を持ちます。

7. 生活の中の芸術:椅子からグラスまで

「芸術は、一部の特権階級や金持ちが自宅の床の間に飾って悦に入るものではない。すべての人の日常の中に生きるべきものだ」

この強烈な信念から、岡本太郎は生涯、自らの絵画作品を売却することを頑なに拒み続けました。売ってしまえば富裕層のコレクションとして秘匿されてしまうからです。彼は80歳の時、自身の主要な作品約2000点を一挙に川崎市へ寄贈しました。彼にとって芸術とは、市場で売買される「商品」ではなく、人間としての「生き方(Living Way)」そのものだったのです。

そのため、太郎は一般の人々が日常的に使うプロダクト(日用品)のデザインに、絵画と同等、あるいはそれ以上の凄まじい熱量を注ぎ込みました。

人間工学への平手打ち:『坐ることを拒否する椅子』

1963年に発表された『坐ることを拒否する椅子』は、プロダクトデザインの歴史に対する痛烈なテロルでした。モダンなプラスチック製の椅子ですが、座面にはトゲのような突起があったり、ギロリとした目がついていたり、お尻の形に全く合わなかったりと、座り心地がこれ以上ないほど「最悪」に作られています。

これは、現代の家具メーカーが競う「人間工学(エルゴノミクス)に基づいた快適さ」に対する強烈な皮肉です。太郎はこう言いました。「人間、快適な椅子に座ってぬくぬくと腰を下ろしてしまったら、精神が安住して死んでしまう。お尻が痛ければ、すぐに立ち上がって行動するだろう。不快こそが、自分が生きているという生の実感なのだ」と。安楽を拒否し、常に緊張感を持って生きることの大切さを、椅子という形を通じて表現したのです。

人間工学(エルゴノミクス)
人間が使用する機械や家具などの道具を、人間の身体的な特性や動きに合わせて、最も安全で、効率的で、「快適」に使えるように設計する学問。太郎はあえてこれに逆行することで、人間の精神の覚醒を促しました。

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というゲリラ工作

1970年代、ウイスキーのおまけとして世に送り出され、テレビCMとともに一世を風靡した『顔のグラス』(グラスの底に太郎の描いた顔がある)や、陶器製の『水差し男爵』。これらは、美術館に行かない一般の労働者や主婦、学生たちの日常生活の隅々にまで「なんだ、これは!」という驚きを浸透させ、大量消費社会の退屈な日常を引っくり返すための、太郎による微笑ましくも過激な「芸術工作活動」だったのです。

また、彼の不屈の精神を象徴する作品として『傷ましき腕』(1936年制作)が挙げられます。この作品は1945年の空襲によって一度は完全に焼失してしまいました。しかし太郎は絶望することなく、戦後の1949年、全く同じ作品を強い闘志とともに再制作したのです。太郎の精神は、どんな災禍によって灰になろうとも、何度でも不死鳥(Phoenix)のように立ち上がる強さを持っていました。

8. 結論:今もなお「爆発」し続ける岡本太郎の精神

岡本太郎がこの世を去ってから長い年月が経ちましたが、その影響力は衰えるどころか、急速に加速しています。近年、NHKで制作された特撮仕立ての番組『タローマン』が、SNSを通じて若者たちの心を強烈に掴んだのは、その一例に過ぎません。情報過多で、SNSでの「いいね!」の数を気にし、失敗を恐れて綺麗にまとまろうとする現代社会の閉塞感に対して、岡本太郎の剥き出しの思想が、最も強力な「解毒剤(劇薬)」として求められている証拠です。

現代人に贈る、命を呼び覚ます3つの劇薬

太郎の膨大な著作から、私たちが明日からの行動を変えるための3つの金言を抽出しました。ぜひ、胸に刻み込んでください。

  • 「自分の中に毒を持て」: 他人の評価や社会の通念に媚びるな。あえて自分を厳しい環境、危険な道へと突き放し、自分だけの「毒(個性・信念)」を磨き続けろ。
  • 「でたらめをやってごらん」: 誰かが決めた予定調和や、効率・正解ばかりを求める生き方を一度破壊せよ。計算のない純粋な衝動から湧き出る行動こそが、新しい世界を切り開く。
  • 「一度死んだ人間になれ」: 過去の成功体験や、こうでなければならないというプライド(古い自分)を毎日捨て去れ。その瞬間ごとのゼロからの出発が、真の生を生み出す。

岡本太郎という存在そのものが、人類が未だ完成させていない究極の「動く芸術作品」だったと言えます。彼の魂の叫びは、2026年というこの現代を生きる私たちに対して、今もなお鋭く問いかけ、私たちの胸ぐらを掴んできます。

「お前は、いつまで自分をごまかして、安全な檻の中で生きるつもりか。今すぐ、お前の生命を爆発させろ!」と。

世界一の読解力を持つ広報担当ツバサの熱き超・感想文

この岡本太郎さんの思想と人生の軌跡を完全に読み解いたとき、私の魂は震え、全身の血が激しく沸騰するような、言葉にできない凄まじい衝撃を受けました。単なる歴史上の偉人のレポートを書いたつもりは毛頭ありません。これは、今この瞬間を生きる私自身の、そしてこの記事を読んでいるあなた自身の「命の解放」を迫る、血の通った果し状です!

現代の私たちはどうでしょうか。スマートフォンの画面に流れる「他人の正解」を追いかけ、アルゴリズムが推奨する「心地よい情報」に浸かり、失敗して叩かれるのを恐れて、綺麗に、要領よく、器用に生きることばかりを考えていませんか?それこそが、岡本太郎が最も激しく呪った「精神の死」そのものであることに気付かされ、私は自分の胸を深く抉られるような痛みを覚えました。

太郎さんが梵鐘『歓喜』で「角」を突き立て、不協和音の中に奇跡的な残響を生み出したように、また『生命の樹』で進化の階層をひっくり返して見せたように、私たちはもっと「自分の歪(いびつ)さ」を愛し、社会の物差しに対して「なんだ、これは!」と叫ぶ権利を持っているはずです!綺麗にまとまった人間になる必要なんて一ミリもない。むしろ、他者との衝突を恐れず、自分自身の矛盾(対極)を抱えたまま、激しく引き裂かれながら生きる姿こそが、何よりも美しく、何よりも気高い「生の実感」なのだと、太郎さんの哲学は教えてくれます。

失われた『明日の神話』がボロボロになりながらも奇跡的に再発見され、修復師たちの執念によって再び渋谷の真ん中で魂の炎を燃やし続けているように、私たちの内に秘められた情熱もまた、どんな挫折や日常の退屈によって埋もれようとも、何度でも灰の中から不死鳥のように蘇ることができます。この書籍レポートを読み終えた社会人の皆さん、学生の皆さん。どうか、今日から「物分かりの良い大人」になるのをやめてください。自分の内なる混沌を恐れず、でたらめを恐れず、一歩踏み出してください。あなたの命は、誰かに評価されるための商品ではない!あなた自身の人生というキャンバスに、誰にも真似できない強烈な原色をぶちちまけ、今この瞬間を、猛烈に、爆発させようではありませんか!!!

Taro_Okamoto_Exploding_Life

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